ベフザットが子供時代を過ごした家は倒壊した。近年まれに見る巨大地震に襲われたトルコ最南部の都市アンタキヤ。年老いた父親がその家の下敷きになっていた。素手で必死に瓦礫を取り除いたが、両脚をコンクリートの塊に挟まれているので助け出せない。
ベフザットは父の体に毛布をかけ、頭上に傘を差しかけて「すぐに助けが来るから」と言って励ました。
それから苦悶の24時間が過ぎ、ベフザットは妻のゴクジェ(筆者の妹だ)に、父を見に行ってくれと頼んだ。「俺には合わせる顔がない。助けが来ると言ってしまったんだ。来るわけないのに」
ベフザットの父は死んだ。母も、いとこたちも死んだ。みんな死んだ。助けてくれる人は一人も来なかった。
瓦礫の下で死んでいったのは大切な家族だけではない。良い統治、汚職のない国、国民に寄り添う政府という空疎な約束も、そこで息絶えた。
そんな約束をしたのは大統領のレジェプ・タイップ・エルドアンだ。トルコでは1999年にも北西部で大地震があり、政府の対応の遅れにより何千もの犠牲者が出た。その後の混乱に乗じて、エルドアン率いる公正発展党(AKP)は台頭したのだった。
当時のエルドアンは汚職の蔓延や無能な政府、そして無責任な国家機関を痛烈に批判し、自分が政権を取れば全てを変えると約束した。
実際、変わったこともあり、変わらなかったこともある。連立政権の足並みが乱れ、政府の意思決定が遅れる日々は去った。その代わり、エルドアンは20年かけ、せっせと自分自身に権力を集中させた。
その過程で国民に奉仕する国家機関を骨抜きにし、自らに忠実な人物だけを要職に据え、口うるさい市民団体を一掃し、周囲を少数の取り巻きで固めてきた。
そこへ襲いかかったのが2月6日の巨大地震。もちろん地震の規模は大きかったが、腐敗した国ほど地震などの災害による犠牲者が多いとする学術的データもある。
無視された安全基準
エルドアン政権下のトルコ経済は建設ブームに沸いた。エルドアンはインフラ建設事業の発注に当たって公正な競争入札を行わず、まともな耐震基準の審査もせずに、自分とつながりのある業者に仕事を任せた。結果、地震の頻発地域でも、いいかげんな建物がどんどんできた。
今回の被災地ハタイ県では住宅だけでなく、病院や首相府災害危機管理庁(AFAD)の地方支部までも倒壊し、あるいは使えないほどの損害を被った。どれも、エルドアンの取り巻き企業によって建設されたものだった。