19世紀末に始まった「漢字廃止計画」

長い歴史を持つ漢字であるが、中国では19世紀末から20世紀にかけて、次第に「劣った文字」と見なされるようになってしまった。

銭玄同
銭玄同(写真=Mountain at Cai Yuanpei Memorial in Shanghai/PD China/Wikimedia Commons

アルファベットのような表音文字はせいぜい数十程度覚えればよい一方で、漢字のような表語文字は、数千も覚える必要がある。効率が悪すぎるから、そのせいで科学の勉強などができなくなる、などと言われるようになったのだ。漢字の本家、中国であっても、やがては漢字を廃止して表音文字にしようとする企てが進行したのである。

20世紀初頭には、中国でもダーウィンの進化論が流行していた。漢字は古代から現代への推移の中で、少しずつ簡略化が図られてきたのであり、現代においてはもっと簡略化された文字へと「進化」すべきだという考えが広まった。さらには、より効率の良い表音文字への移行も歴史的な必然だという考え方まで出てきたのだ。

1922年には、言語学者の銭玄同せんげんどうらが国語統一準備会に「現行の漢字の画数削減案」を提出している。銭玄同らが提出した簡略化の方法は、すでに現行の簡体字のものと大差がない。

「客観的・科学的」にみて劣った文字

そして1949年に現在の中華人民共和国が成立する。共産党一党独裁国家であり、マルクス主義の国家である。マルクス主義は発展史観なので、文字の歴史的変化も必然だと考える。

象形文字から表音文字に進むのは「客観的な法則」なのであり、漢字は「客観的・科学的」にみて劣った文字と考えられたのだ。ちなみに、マルクス主義者に「何をもって客観的・科学的というのか?」という質問はしてはいけない。

このように、建国当初の中国は、漢字を捨てアルファベットのような表音文字に全面的に移行しようと考えていたのだ。さすがにすぐさま漢字全廃とはいかないので、ひとまず漢字を簡略化して普及せしめ、ゆくゆくは消滅させていくつもりであった。

1951年に中国文字改革研究委員会が発足、54年に同委員会は中国文字改革委員会に改組され、翌年「漢字簡化方案草案」を発表、討議を経て1956年に「漢字簡化方案」を公布する。それはいくらかの改訂後、1964年に「簡化字総表」にまとめられた。これが現在でも使われている簡体字である。