滅亡計画がとん挫したワケ
これによって、さらなる文字改革が進む、と思われた。が、1986年、第二次漢字簡化方案は廃案になった。
それはそうだろう。20年から30年に一度漢字が変わってしまったらたまったものではない。せっかく勉強したのに、また新たに学びなおさなくてはならなくなる。子供はゼロから学ぶのだからいいとしても、大人にとっては迷惑だ。
表記システムはある程度の安定性が求められる。英語だって、すでに発音とつづりの乖離が激しいけれども、かといっておいそれと変更することはできないでいるのだ。
以降、さらに漢字を簡単にしようとか、そもそも漢字をやめてローマ字のみにしてしまおうとかいった動きは出ていない。基本的には1956年に公布された「漢字簡化方案」で定められた字体が、現在でも使用されている。
ちなみに、台湾でも漢字を簡略化しようという議論が50年代にあったが、こちらは守旧派が勝利したので、今でも繁体字を使っている。
日本でもあった「漢字制限」
日本でも漢字を制限、もしくは撤廃しようとする動きは戦前からあった。阿辻哲次『戦後日本漢字史』(ちくま学芸文庫、2020年)によると、1923年に漢字制限を目的とする「常用漢字表」が臨時国語調査会によってすでに発表されている。
戦後、GHQの政策もあって、漢字が簡略化され、仮名遣いも歴史的仮名遣いから現代仮名遣いになった。1946年には「当用漢字」が定められ、それに含まれない漢字の使用が制限されることとなった。
しかし、その後日本でも漢字を制限しようという話はとんと聞かなくなったから、しばらく漢字の地位は安泰のようである。