ライブドアショックで取引先が連鎖倒産

様子がおかしくなったのは2006年の「ライブドアショック」からだ。投資家の資金でIPO目前と息巻いていた取引先企業がどんどん倒産し、未回収金が増えていった。夫の会社の年商はついに半分になってしまった。

それでも香織さんは買い物をやめられなかった。気分転換にと思って、うっかりデパートに行くと、また外商の甘言にのってカードで買ってしまう。「没落した」と知られたくなくて必死だった。

そしてある日、貯金がついに底をつき、80万円のカードの請求が払えなくなった。やっと香織さんはセレブ生活の幕が下りたことを悟った。

ベンツを売り払い、ヴィッツを買った。天井が高いセレブマンションから46平米の部屋に引っ越すことにした。夫の会社が回らないので、自分は契約社員として別の会社に勤めはじめた。

子供は保育園に預け、10時から16時半までという勤務時間を死守しながら働いた。疲れてもタクシーには乗れない。毎週通っていた高級マッサージにも行けない。値段も気にせず買っていた高級子供服は、いつの間にかユニクロになった。食事もすべて自分でつくることにした。

けれど、何よりも辛かったのは3人いた社員の給料が払えなくなり、雇い止めを言い渡すときだった。苦楽をともにした創業からのメンバーもいた。ことあるごとに高級レストランでおごり、誕生日にはエルメスの名刺入れをプレゼントしていたが、そんなことよりも彼らをずっと雇っていけるように考えるべきだったのだ。全員に再就職先を確保できたことがせめてもの慰めだった。カード代の工面に走り回っているうちに外商からの電話はまったくかかってこなくなっていた。

「もとが庶民だから金持ちになりきれなかったんだ」

香織さんは当時の自分のことを典型的なニューリッチだったと振り返る。同じ時期に派手にお金を使っていた人は、どこかにいなくなってしまった。ランチ代を1円単位まで割り勘にしていた倹約家の医師夫人は今も健在である。

お金がなくなってからいろいろなことがわかるようになった。長男はホテルから食事が届く「セレブ産院」で100万円かけて出産したが、長女は都立病院で20万円で産んだ。でも痛さには大差なかった。バッグや食器を大切に使い続ける楽しさも知った。そもそも、自分は本当にエルメスのバッグがほしかったのかと考えてみれば、そんなことはなかった。もともと貧乏性なので、高いバッグを持ったら気軽に電車にも乗れず、ほとんど未使用同然だった。すべては見栄だったのだ。