夫が「モラ夫」であることを否定する妻
40代の控えめな印象の女性Aさんが事務所に相談に来た。離婚するかどうか迷っているという。
話を聞くと、夫は毎日のように彼女を怒るのだという。例えばある時は、彼女がひどい生理痛をおして夫の帰宅を玄関まで出迎えたのに、「しけた顔をしている」と怒ったそうだ。こうしたことはしょっちゅうだという。典型的な“モラ夫”(モラハラをする夫)だった。
そこで私が、「モラ夫ですね」と言うと、彼女は、「でも、私も言い返すから……」「私は家事も不十分だし、料理も下手だし……私にも悪いところがある」などと、夫がモラ夫であることを懸命に否定し始めた。
弁護士として、離婚法律相談に多数対応していると、夫の“モラ度”が高いほど、妻は、「夫がモラ夫であること」を否定する傾向にあることに気づく。私は、これを、「モラ被害のパラドックス」と呼んでいる。
このような妻たちの夫はどうか。やはり、モラ度が高いほど、自らがモラ夫であることを否定する。つまり、「モラ被害のパラドックス」は、同時に、「モラ加害のパラドックス」でもある。
妻はなぜモラハラを認めないのか
モラ被害を否定する妻たちの多くは、父親がモラ夫であることが多い。つまり、「男ってこんなもの」「威張っていて当たり前」と受け入れてしまう素地がある。
しかし、明治~昭和に、夫のモラハラが当たり前だった「モラ文化」を生き抜いてきた世代とは異なり、現代の女性の多くは、夫からいじめられる(モラハラを受ける)と、心身が確実に壊れていく。私たちは、個々の人格が尊重されるべき時代に生きているのだ。
ところが、心身が傷ついた妻ほど、自分が傷ついていることを認められない。おそらく、認めてしまうと、これ以上、頑張れなくなってしまうのだ。被害を受けている妻の多くは、「私が(も)悪い」と自らを責め、「私さえ我慢すれば、家庭は平和になる」と考えるのだ。
他方、モラ夫は、自らの言動の問題性を認識していないことが多い。男尊女卑、性別役割分担等の価値規範群(モラ文化)は、幼少期から人格の基礎部分に刷り込まれており、超自我(本人/自我を指導監督する価値規範群)の一部として、その男性の人格の基礎部分に存在している。自我は、意識的、無意識的に超自我に従っているので、よほど自分を客観的に観察・分析する力に長けていないと、自らの言動の問題性に気づくのは難しい。