「独自ルール」を作ればさらなる混乱を呼ぶ

ソーシャルディスタンスを保とうということなのだろうが、電車やバスなどの公共交通機関の中では客同士の座席は間隔を空けるどころか、密閉空間で密着密集状態だ。これほどリスキーな場所があるというのに、それよりも明らかにリスクの低い空間でひとつおきに座らせる意味はまったく理解できない。これも「やってる感」の生み出してしまった産物といえよう。

会社などの組織で独自に運用している「ルール」にも首をかしげざるを得ないものがある。「飲酒を伴う会食は4人まで」だが「飲酒を伴う会食でなければ人数制限せずとも良い」というルールを作っている組織の存在を耳にした。ちなみにこの組織は医師で構成されるとのことだが、これにはいかなるエビデンスがあるのだろうか。

今後「5類化」となり種々の規制が緩和されることを契機として、「感染対策」のうち、これらに代表される無意味もしくはかえって有害な「対策」が淘汰とうたされていくことが望まれるが、逆に、緩和となった規制を会社などの組織が「独自ルール」で埋め合わせようとし始めると、新たな混乱が生じる可能性が懸念される。

2009年に流行した「新型インフルエンザ」の時には、感染後の出社時に再検査することを社員に義務づけたり、医療機関に陰性証明診断書や出勤許可証の発行を強要したり、新型か従来型かの検査結果を明記した診断書の提出を求めたりなど、会社組織によって思い思いの「独自ルール」が考案されたため、医療機関が診療以外の問題で大混乱に陥った。

「対策」どころか「愚策」を生まないために

今回のコロナ禍では、これらの診断書関連のトラブルは当時よりも少なくなった印象だが、今後の「5類化」によって、自宅療養期間が事実上の廃止とされてしまうと、会社組織によっては医療機関を再受診し「出勤許可」のお墨付きをもらってくるよう社員に命じるところも出てきかねない。今から言っておくが、この悪しき慣行だけは絶対に復活させることのないようしていただきたい。

その他、私たちの予想を超えた「新たな感染対策」が今後発案されないとも限らないし、それらが医療現場だけでなく私たちの日常生活に新たに余計な負荷をかけるだけになるのであれば、それはもはや「対策」とは呼べないただの「愚策」である。

今後いかなる流行状況になろうとも、学校や会社をはじめ組織内で何らかの「感染対策」を立案する場合には、その対策が本当に意味のあるものであるのか、無意味ばかりか、むしろかえって有害となるものではないのか、ということを十分に議論していただきたいし、立案された対策の実効性に疑問を感じた人が、ただただ黙って従うのではなく問題点をキッパリと指摘することで、形ばかりの「やってる感」が一つでも多く淘汰されていくことが望まれる。

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