観光はメディアに創られたイメージを確認するためのもの
観光学の領域では、ダニエル・J・ブーアスティンが想起される。
彼は、メディアの変化がイメージの大量生産をもたらし、人々の想像力にも真実らしさの観念にも決定的影響を及ぼしたとして、大衆の欲望に合わせてメディアが製造する「事実」のことを「疑似イベント」と呼んだ。
つまりブーアスティンは、写真・映画・広告・テレビなどのさまざまなメディアにより創られたイメージのほうが、現実より現実感を持つとする。観光はそのようにメディアに創られたイメージを確認するためのものだけになっていると指摘し、かつツーリストたちもそれを望んでいるとした(『The Image: A Guide to Pseudo-events in America』1962年、邦訳『幻影の時代 マスコミが製造する事実』星野郁美・後藤和彦訳、東京創元社)。
つまり、観光においてのメディアの果たす役割が増大し、従来のマスメディアに加えてソーシャルメディアの浸透により、現代社会は情報の氾濫の状況を迎えている。リアルとヴァーチャルのデュアル化が生じているという見方もできる。
日本は実写ベースの情報発信が遅れている
観光文脈においても、リアルな観光行動を発展させず、ヴァーチャルのみで完結させるという形態が生じているのは紛れもない事実だろう。観光産業そのものが、今後、新たな局面の理解を余儀なくされていくのかもしれない。
韓国のコンテンツは前記のような都市、地域イメージを増幅、拡散させる役割を果たしている。ノンナレーションまち歩き動画も同様だが、この部分でも韓国の現状には注目すべきだ。日本では確かにマンガやアニメ作品を介して、東京をはじめとした個々の場所に関する情報発信はなされているが、実写ベースでいうと韓国に後れを取っているという印象は拭えない。