新幹線でのロケができず台湾で撮影

日本でのロケは制約が多いという話をよく聞く。例えば三池崇史監督の『藁の楯』では、アクションシーンで新幹線の使用の許可が下りずに台湾で撮影した。また、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙―サイレンス―』は遠藤周作の原作だったが、やはり台湾を中心に撮影がなされたという。

台湾高速鉄道
写真=iStock.com/Sean Pavone
※写真はイメージです

映画全盛期にはカースタントも街中で実施されたりしていたが、現在では安全面や道路封鎖の困難さから、次第にそのようなシーンは減少の傾向にある。

とはいえ、決してロケに関しての体制構築がないがしろにされていたわけではない。20世紀後半には個々の地域での胎動があり、2000年に日本初のフィルムコミッション(地域活性化を目的として、映像作品のロケーション撮影が円滑に行われるための支援を行う公的団体)、大阪ロケーション・サービス協議会が設立されてからは、全国規模でフィルムコミッションの整備が進められ、2021年にはフィルムコミッションが約350団体を数えるようになった。

また同時に、フィルムコミッションが関わるロケ撮影作品数も大幅に増加した。現在では、実写作品の大半がフィルムコミッションの支援を受けている。

日本は銀座でカーチェイスすら撮影できない

とはいえ、日本では、各フィルムコミッションもしくは観光振興を目的とした観光協会などの外郭団体で運営されていることが多く、アメリカのフィルムコミッションのように道路封鎖まで行うことができる権限を有してはいない。

2009年に各地のフィルムコミッションの連絡機関として、「特定非営利活動法人ジャパン・フィルムコミッション」が設立されているが、すべてのフィルムコミッションが加入しているわけではない。あくまでも任意団体であり、基本的にはロケ誘致、サポートに関しては個々のフィルムコミッションが担うことになる。

ただ、この一連のフィルムコミッションには都道府県ほぼ全部に相談窓口が設置されており、そこから個々のフィルムコミッションを紹介する形が一般的になってきた。

東京都のフィルムコミッションについては、石原慎太郎都政の時代に積極的な対応を見せた。石原は映画自体を産業として捉え、映画のロケ誘致に伴う雇用確保、行政の収入増加も念頭に置いていた。ロケ手続きの簡素化が一元的にできるように、2001年には大阪に続く形で、東京都が所管するフィルムコミッション「東京ロケーションボックス」を開設している。

しかし現実的には、十全に機能しているとはいえないだろう。石原は2000年、東京国際映画祭で「銀座でカーチェイスを!」と述べたが、依然として手続きは煩雑な部分が残っており、カーチェイスのできるまちからはほど遠い。国のスタンスもまだ見えない。