死を悟ったときでは時間も体力も残っていない
人間は、肉体的な痛みや精神的な苦しみが強いと、ものを考えることができません。痛みや苦しみのなかでは、自分の人生をじっくり振り返ったり、家族や大切な人のことを思ったりする余裕がないからです。
でも、症状緩和と心のケアがうまくいっていればどうでしょう。
残された時間のなかで何をしたいか、何をしなければいけないかを考え、もしずっと気になっていたことが残っていたら、その問題にしっかりと向き合い、そのときの自分にできる精一杯のことを行う。家族や大切な人たちに伝え残したい言葉を届ける――。
そうやって人生最後の課題に取り組むことができるのではないでしょうか。そしてそれらをやり終えることができれば、後悔のない幸福な死を迎えられるのではないかと思うのです。
ただここで、見過ごせない問題が残っています。多くの場合、自分に死が近づいていることを知ったときには、こうしておけばよかった、あれもやっておくべきだったという課題に取り組むだけの時間も体力も残されていないということです。厳しいようですが、それが現実です。人生の課題を未解決のまま終えてしまう人もいらっしゃると思います。
私が「死を考えることは、生を考えること」だと言っているのは、こういう側面からでもあります。私たちの人生は有限です。いつ死がやってくるかは誰にもわかりません。だからこそ、人生の真っただなかを生きているいま、死を見つめることが大事なのです。