このメタモインキという画期的な発明はどのようにして誕生したのだろうか。そこにはなんともドラマチックな機縁があった。発明者の中筋憲一氏(現パイロットインキ会長、パイロットコーポレーション常務取締役)は70年代初頭、27~28歳頃に取り組むテーマをなくし困惑していた。そんな折、たまたま外回りをしているときに、突如ひらめきのチャンスを得た。それは紅葉だった。秋冬の風物詩、紅葉は、緑の葉が一晩で真っ赤に染まる。それを目にした中筋氏は、こういう劇的な色彩変化をビーカーの中で再現できたらと考えたそうだ。失意の中での紅葉との衝撃的出合い。これが後のメタモインキ「フリクションインキ」の出発点となったのだ。
開発当初、この技術は筆記具には適さないと考えられていた。なぜならインキはきちんと残り続けるところに価値があり、消えたり光で劣化したりするのはいいインキではないとの常識があったからだ。それゆえ出だしは、玩具やマグカップなどにこの技術を利用していた。例えば真っ白なエビフライのオモチャを冷水に入れるとこんがりきつね色に変わったり、マグカップに熱いお茶を入れると下の絵柄が浮かび上がり枯れ木に花が咲くといったようにだ。筆記具が本業の同社では、このような商品ジャンルのビジネスは全体の2割程度でしかなかったのだ。
しかしいつかは筆記具にこの技術を応用しようと、地道な努力が続けられた。今回お話をうかがったパイロットコーポレーション湘南開発センター名古屋分室インキ開発グループ部長の千賀邦行氏が同社に入社したとき、中筋氏は課長だったそうだが、とにかく彼から幾度も口を酸っぱくして言われたのが、「技術を止めるな。絶対これで完成ではないのだ」という言葉だった。
メタモインキのボールペンへの応用に関してはいくつかの高いハードルがあった。前述のように、メタモインキは3つの成分が混入したカプセルででき上がっている。が、その安定性を維持するにはある程度の大きさが必要だった。だがこれが大きくなると、ペン先のように狭い隙間からは出なくなってしまう。
技術的改良は難航を極めた。まず安定的なカプセルの小型化が大きな課題になったのだが、カプセルを小型化すると、カプセル膜の耐久性が脆弱になり、化学反応が不安定になってしまう。きちんと変色できなくなってしまうのだ。最終的にはカプセル内の成分をしっかり保護する強靭な膜剤を開発することにより、この課題はクリアできた。
また、技術的な問題点はメタモインキの変色機能自体にもあった。開発当初、30度で温めると色は消えるのだが、それよりも少し温度が下がるとまた元に戻ってしまうという問題があった。わずかな温度の変化で色が消えてしまってはインキとしての価値はない。この課題は結局、「メモリータイプ」という、消去した部分はそのまま記憶できる変色温度調整剤を開発することで克服できた。