テレビカメラの数が物語る事件の衝撃の大きさ
現場となったユバルディのロブ小学校に着いたのは午後9時前。小学校の前には規制線が張られ、大型トラックのような大きさの警察車両が何台もとまっていた。付近の道路は一般車両の通行が規制され、小学校の前の幅5メートルほどの道路には、到着したばかりの報道陣のカメラが並んでいた。
夏時間のテキサス州と日本の時差は14時間、つまり現地の午後9時は日本では翌日の午前11時だ。正午のニュースまで1時間ある。最低限の映像を撮影して東京に伝送し、その上で、現場から中継を行う方針を東京にいるニュースデスクに伝えた。
ユバルディはメキシコとの国境に近い人口およそ1万5000人の小さな町だ。通信インフラは脆弱なようだ。さらに大勢のメディア関係者が集結して、同じタイミングで通信を始めたためだろうか、通信速度は落ちていくばかりだ。スマートフォンで撮影した20秒の映像を送るのに5分かかった。通信用の機材は何種類か持っていたので、より速く使えるものがないかを試した。その間に東京からは、現場の状況、中継で話す内容、中継の持ち時間など、確認の電話がひっきりなしにかかってきた。
電波の状況は大きくは改善しなかったが、何とか正午のニュースの中継を出し、仮眠のためホテルに戻った。次に現場に戻ったのは翌日の午前6時頃。この8時間の間に現場のメディアの数は大きく膨れ上がっていた。
アメリカのネットワーク各社は、3メートル四方ほどの大きなテントを道路上に組み、その中にテレビカメラやモニターなどを入れていた。天井にアンテナを備えたトラックサイズの中継車を持ち込んでいた社もあった。前日の夜には10台あまりだったテレビカメラの数は、事件から一夜が明けると50台ほどに達していた。この台数が、今回の乱射事件がアメリカ社会に与えた衝撃の大きさを象徴していた。
海外メディアによる報道も
アメリカのメディアは、10年前の2012年に26人が犠牲になった東部コネチカット州のサンディフック小学校の乱射事件以来の深刻な事態だと伝え、昼夜を問わず現地から放送し続けた。いや、衝撃はアメリカに留まらなかった。筆者の隣では小さなカメラを使いながら、記者がドイツ語でリポートしていたし、フランス語でリポートしている記者もいた。
事件から一夜が明けたこの日は、日本の夜のニュースへの中継出演を終えたあと、犠牲となった小学生の家族に接触することを試みた。しかし、ユバルディの市当局は公共施設にカウンセラーを配置し、犠牲者の家族や地域住民の心のケアに当たる態勢を整えており、メディアは敷地内には入らないように指示された。そのため、遠目で家族と思われる人々の出入りの様子を見ただけで、結局接触はできなかった。