ドイツで問題になった議論が、日本では行われない

また、FDP(自民党)の党首リントナー氏も政府に異議を申し立て、演壇からメルケル首相に向かって、「あなたは議論が民主主義を強化すると言う。それは正しい。しかし、議論は決定の前に行われなくてはならない」と、その独断を名指しで批判した。当時、問題となっていたのは、規制が(1)国民の基本的人権を制限するものであり、しかも(2)民主主義を無視した形で行われていたことだった。

ドイツでは、基本的人権の制限は例外的に認められてはいるが、それは、その制限がある合法な目的を達成するためにどうしても必要、かつ、効果がある場合に限るとされている。しかし、当時のコロナ規制では、それらの相関性が明らかではなかった。

一方、その頃、日本でも、政府や自治体の要請により、コロナの感染源になっているという証拠もなしに多くの業種の営業が阻害され、その結果、かなりの基本的人権が制限されていた。しかし、日本ではそれを問題視するメディアはほとんどなく、国民の間でも法の原則についての議論は起こらなかった。私はそれを見ながら、これなら日本政府は何でも通せるのではないかと、一抹の不安を感じた。

政府の意向を「科学的に」支える研究機関

ドイツではその後、ワクチン接種が進み、2回接種のみが、ある程度人間らしい生活を送るための条件となった時期もあった。つまり(州によって若干差はあったものの)、ワクチンを2回打っていない場合、たとえ陰性証明があっても、人の集まるところからは締め出されたり、また、ワクチンを打たずにコロナに罹患りかんしたら、病欠ではなく、欠勤扱いで給料が減ったりした。

また、病院関係者、警察官、兵隊などはワクチン接種が義務となり、接種を嫌って泣く泣く退職する人まで出た。そして、これらのコロナ対策を、政府のアドバイザーとなった学者や、政府の管轄下にある研究機関が、「科学的に」支えた。

義務教育中の子どもたちが、ほぼ半年近く正常な学校生活を奪われたのは、世界広しといえどもドイツだけだろう。長期間スポーツもできず、家に閉じ込められることで、社会的に恵まれない子どもたちがとりわけ甚大な被害を受けた。それでも政治家は、子どもたちがウイルスのキャリアとなって高齢者を感染させる可能性ばかりを強調し、子どもたち自身の被害には耳を貸さなかった。結局、潜在的な加害者にされた子どもたちの間では、うつ病や肥満が増え、今になって健康被害や学力低下が深刻な問題となっている。