“冷戦”状態のきっかけは「人格否定発言」
このままでは「令和の壬申の乱」が起きるかもしれない。
イギリスのチャールズ国王の次男・ヘンリー王子が自伝『スペア』の中で、妻のメーガン妃に対して批判的な物言いをした兄のウィリアム皇太子と口論になり、兄がヘンリー王子の襟首をつかんで床に叩きつけたと主張しているという。
兄弟は他人の始まりというが、振り返って、この国の兄・天皇と弟・秋篠宮の関係も長年、“冷戦”といってもいいような状態が続いているのではないかと思い至った。
壬申の乱は、672年、兄・天智天皇の後継を望んでいた同母弟・大海人皇子が、天智天皇崩御後、子どもの大友皇子が弘文天皇に即位したことを恨み、兵を挙げ、自害に追い込んだといわれる内乱である。
時代背景も人心も違う現代で、このようなことは起こりえないだろうが、似たような構図が天皇と秋篠宮にあることは否定できないのではないか。
天皇家と秋篠宮家との関係を年代順に見てみたい。
萌芽は2004年だった。皇太子(当時)が会見で、「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあった」と発言した。「浩宮の乱」とまでいわれて騒ぎになった。
「壬申の乱の勃発を招きかねません」
秋篠宮はそのことについて、「記者会見という場で発言する前に、せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったかと思っております」と苦言を呈した。
秋篠宮のいい分に利ありとメディアは挙って秋篠宮贔屓になり、雅子妃へのバッシングをさらに強めていった。
当時の首相だった小泉純一郎氏は、皇室に皇太子の次の後継男子がいないことを憂えて、2006年1月に「有識者会議の報告に沿って皇室典範の改正案を提出する」と宣言し、女性・女系天皇を認める方針を打ち出した。
だが、その直後の2月7日、NHKが「紀子さまご懐妊の兆候」というスクープを報じた。
当時官房長官だった安倍晋三氏は、「神風が吹いた」と話したという。秋篠宮家に男の子が生まれるかもしれないのだ。
皇嗣典範改正の見送りに逡巡していた小泉首相に安倍氏は、「お子さまが男子の場合、皇室典範改正は正当な皇位継承者から継承権を奪うことになります」。さらに、そんなことをしたら「壬申の乱の勃発を招きかねません」と助言していたと、元NHK記者で、安倍氏と最も親しかったといわれていた岩田明子氏が文藝春秋(2022年12月号)に書いている。
そして、2006年9月6日、秋篠宮家に長男が誕生したのだ。
眞子さん、佳子さん、次代の天皇である長男・悠仁さんに囲まれた秋篠宮夫妻は幸せな家族の象徴となった。
だが、美智子皇后(当時)はそんな息子たちを見ながら、一人心を痛めていたという。