現在の防衛省の予算要求には緊張感が足りていない
こうしたことを澱みなく証明できるデータをまとめるために延々と作業を行った。徹夜が続くこともある。スタッフの疲労も限界に達する。
だが、当時は自衛隊が憲法違反と批判された時代だから、そこまで準備しなければならなかった。同時にそのような澱みのない説明をするのが防衛組織として当然という雰囲気も強かった。国民に対する責任感でもあった。
そういう経験をした人間からすると、今の予算編成、特に防衛省の予算要求が本当にそこまで詰めたものなのか、疑問に感じざるを得ない。それは端的に言って「説明していない」のではなく、相対評価も併用した作業を行っていない結果として「説明できない」ということではないのか。
緊張感が薄らぐ中で“背広組”に任せていていいのか
冷戦時代のような保革対立の緊張感が薄らぐ中で、戦闘のプロたる自衛官を予算査定から排除し続けていれば、イージス艦一番艦のような、あらゆるデータを駆使した比較結果に基づくきちんとした説明ができるはずもない。
ここで念のためにあえて説明すると、筆者が当時行ったことは、防衛庁内の予算案審議で、イージスシステムの有効性と必要性を庁内向きに説明すること。また、大蔵省に予算要求する防衛庁の背広組の担当者に陪席し、担当者になり替わって説明することであった。つまり、内幕一体の対大蔵省説明といえども、予算の査定そのものには全く関係していなかったのが実態である。