人と同じだとぼくは怖い
――今のお話は「人はなぜ気づかないのか」という話に繋がると思います。良いものがあっても、地元の人には当たり前の風景だから、特に意識しない。1回だけ来た人も、1回だけだから気づくことがない。でも、三井さんは来続けたことで、広田の「面白さ」に気づいた。「面白さ」で合ってますか?
三井 うん、合ってます。面白いです。毎日楽しいですよ。その理由は「なぜ気づかないのか」に近い話かもしれないですけど、結局は価値観の違いがぼくには面白いんです。ぼくは筑波の学園都市で生まれて、都会で育った。そういう人間にとって、田舎の人の価値観が違うことが面白いんです。それはこっちの人にとっても同じだと思うんです。東京から、あんないい都会からわざわざ来て、お前、どうしたんだ……っていう、それは彼らからしたら面白さなんです。お互いの面白さがあるから、付き合いは続くと思うんです。
ぼくからしたら、広田って、海外に来てるのとさほど変わらないんです。カナダに留学してたときに感じていた面白さって、外国の人の価値観が違うっていうところにあるんですけど、それと、こっちで広田の人と話していて感じる面白さって、ほとんど似てます。
たとえば漁師って、津波が来ると、沖に船を出して守るんです。船を守るためだけになんで命を賭けるのって自分は思っちゃう。でも、それって、1を10に大きくすることに比重を置いている都会の文化の考え方なんです。こっちの人はなんで船を沖に出すかというと、先祖代々守られてきた船だからなんですよ。その船はただの船じゃなくて、先祖の魂であって、伝統なんです。1を1として守ることに、彼らは何の迷いもない。それがぼくからしたらすごく面白いんです。それこそ今風に言えば「多様性」を認めるというか(笑)、ダイバーシティなんだと自分は思うんです。お互いの良さを認め合えていくことが、ぼくにはいちばん面白いですね。
――もう一掘りする質問をしましょう。三井さんが、自分と違う何かを面白がれるのはなぜですか。人には、自分と違うことで、嫌いになったり面倒臭くなったり、関わりたくなかったりするというこころもある。三井さんの年代は、子どものころから同調圧力の中で生きてきた年代だと思っていたんですけれど、その中で三井さんは、なぜミュータントたり得たのか。
三井 よくわからないんですけど、ぼくは逆に人と同じことのほうが怖いんですよ。なぜそうなのかは、正直よくわかんないんです。「なんで大学名が有名なところに行きたがるの?」って。早稲田だったら何学部でもいいみたいな人っていっぱいいるじゃないですか。それが気持ち悪いんですよ。だって自分が学びたいのは「早稲田」じゃなくて「文学」だとか「法学」だとか「経営」とか、そういう分野であるべきなのに、みんな「早稲田」って名前に着いていく。それ、ぼくからしたら意味がわからないですよ。ぼくの大学選びも元はそこから始まってるし。「法政よりもっと有名なほかの大学に行けばいいじゃん」みたいな話もあったんですよ。でも、それじゃ自分がそのとき学びたかった国際協力が学べないじゃないかと。
大学もみんな当たり前に4年間で出て行くんですけど、ほんとうにそれは当たり前なのかなあ。「なんで大学って4年で卒業するの?」っていうのが、ぼくの考えなんです。たとえば大学5年間が当たり前の時代になったら、あなたは4年間で卒業しますかって訊いてみたい。今、4年間で卒業する人って、たぶん5年間が当たり前になったら、5年間で卒業するんですよ。ぼくはそれが気持ち悪いんですよ。なんでお前自分で考えないのって。
4年間が当たり前でも、自分は5年がいいと思ったら5年通えばいいし、被災地に暮らすっていうのも、今は当たり前じゃないかもしれないけど、これからは当たり前になる可能性もあると思うんです。そうなったときに、ぼくはこっちのほうが豊かな生き方ができるし、自分のやりたいことができると思ったからこっちに来ているというだけで……。ほんと、いつも思うのは、ことばを悪くいえば「もっと自分で考えれば?」っていうことなんです。「みんなと同じの何がいいの?」って感じ方が、自分の中に元からある。そういう感じ方がどこでできたのか、よくわからないんですけど。