予期せず遭遇する他人とのかかわり

わたしの神学部時代の恩師が、かつてこんなことを言った。

「人との出遭いは、交通事故のようなものだよ」

交通事故は予測可能なら起こらないものだ。起こって欲しくもない。それは唐突に、自分の思いなし一切を突き破って起こる。事故を起こしたら、救急車や警察を呼ぶなどしなければならない。放置して逃げたら、それは犯罪である。事故に巻き込まれること。それは自分の意志とは無関係に、その事故にかかわらざるをえなくなることである。わたしは彼女と交通事故を起こしたのかもしれない。その場を立ち去ることは、彼女を轢き逃げするに等しいことだ。ただ、わたしは現場での対処を過った。それも、彼女に対して致命的に。

わたしは予期せず遭遇する他人に対して、どのていど責任をとれるのだろうか。そこで語られる責任とはなんだろうか。わたしたちは、究極的には自分の人生を生きるしかない。自分の人生の責任を他人に負ってもらうことはできない。また、他人の人生におけるあれこれの結果を、その人の代わりにわたしが出してやることもできない。

他人の人生の結果までは背負えないが…

あの少女がどんな人生をその後歩んでいるのかは分からない。だが、もしもあのとき「適切に」かかわることができたとしても、それは彼女の人生を、彼女自身の代わりに善くしてやったことにはならない。わたしとのかかわりを善いか悪いか判断し、行動を起こすのは、けっきょくのところ彼女自身なのだ。彼女の人生を生きるのは彼女自身だからである。

もしもわたしがあのときバスをキャンセルして彼女とかかわり続けたとしても、それでも、わたしは彼女の人生に現われ出るもろもろの結果について、責任をとることなどできなかっただろう。

ただ、他人に対して責任を負いきれないということは、他人に対して無責任であってもよいこととイコールではない。他人に対してあらゆる意味で責任をとれないということになれば、そもそも責任という言葉が無意味になってしまう。他人と約束を交わすこともできなくなる。わたしはたしかに、他人の人生の結果までは背負えないという意味において、他人に対して無責任にかかわっている。だが、いちど他人とかかわったなら、その人のことが頭の片隅にこびりつき続けるだろう。