「愛媛38号」は後年になって、「果凍橙」なる愛称が付けられたことで、ネット上で注目を集めるようになる。「果凍」はゼリーの意味で、それだけ瑞々しいことを表す。果実を半分に切って握り潰し、果汁を勢いよく飛び散らせる。あるいは、果実に直接ストローを突き立て、そのまま果汁を吸えるとアピールする。こうした宣伝動画が話題を呼び、2020年時点の現地価格はかつての10倍の500グラム10元(当時の為替レートで155円)まで上がったという。

なお、譚氏は長年にわたるカンキツの生産振興の功績により、中国の最高行政機関である「国務院」から終生の生活手当を受けている。

中国の「愛媛38号」が別物である可能性はほぼゼロ

「中国で別のカンキツに愛媛38号の名前を勝手につけて、流通している可能性もあるとは思います……」

先ほどの取材で、愛媛県の農業担当者は、そうであってほしいと祈るような口調でこう付け加えていた。同県にとって、育成したカンキツの種苗が中国に無断で流出することは、脅威である。すでに述べたように、安価な中国産の「愛媛38号」が輸出されて人気を博せば、同県産のカンキツの輸出機会を損ないかねない。だから、信じたくない気持ちは分からなくはない。

とはいえ、別物である可能性は限りなくゼロである。そう言い切る理由は二つある。

一つ目は、もし別物であれば、愛媛県のごく一部の関係者以外は誰も知らない「愛媛38号」と名付ける意味がないからである。ブランドとして価値がない系統名を付けて、普及することに積極的な理由は見出せない。

二つ目は、普及した譚氏が愛媛から持ち帰ったと認めているのだ。これは、なによりも確かな証拠である。

おそらく、愛媛県の農業担当者も、それは十分に承知なのだ。それでも認めたくない胸の内を推察するに、無断流出という本来あってはならない現実が起きていれば、責任問題に発展しかねないし、場合によっては身内の関与まで疑う事態になりかねないからではないか。行政職員のOBが海外の産地から営農指導のコンサルタントとして招かれ、ついでに自県の種苗を無断で持ち出したという噂は、ときどき流れてくる。

両手の上の苗木
写真=iStock.com/Christopher Ames
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