「僕が役に立つのなら、どこにでも行きたい」
国境なき医師団の設立は1971年。独立・中立・公平な立場で、医療・人道援助活動を行う国際NGO(非政府組織)だ。世界の紛争地や自然災害などの被災地で、医師をはじめとするスタッフが無償で医療を提供している。
それぞれの医師が派遣先を選べるわけではない。登録した医師や看護師のリストから、現地で必要とされるスキルを備えたスタッフに国境なき医師団の事務局から派遣の打診があり、受け入れるかどうかの判断を求められる。勤務先とのスケジュール調整がつかず派遣要請を断るケースもあるという。
門馬さんの場合、侵攻が起きた直後に来た打診は家族の状況などをふまえて断ったが、数日後に再度打診があり、「自分が必要とされるなら行こう」と決意したという。
「僕の子供は両親と安全な国で過ごしているけれど、そうした環境が整っていない子供たちや、医療資源が足りなくて困っている人たちが世界中にたくさんいる。そこで僕が役に立つのなら、どこにでも行きたいと考えています」
隣国のポーランドからウクライナに入国し、およそ1000kmの道のりを陸路で移動。東部のドニプロやヨーロッパ最大規模の原子力発電所があるザポリージャに入った。現地の医療体制に土足で踏み込んでいくのではなく、まずは現地の医療者との関係性構築のために、研修や、緊急手術を行う病院の設置準備などに携わった。
「いちばん印象的だったのは、多くの街では皆が普通の生活をしていること。そして、そのすぐ隣で戦争をしているという事実でした。日本のニュースでは爆破された建物ばかりが映されるけれど、すべての建物が破壊されているわけではない。その周りには生活を営み、破壊された街を復興しようとがんばっている人がたくさんいる。現地の医療従事者たちも同様です。『我々は医療で戦う。たとえロシア兵が負傷して運ばれて来ても全力で治療する』と、みんなが言っていました」
幸い、派遣期間中に命の危険は感じなかったというが、昼夜問わずスマホからは警報が鳴り響き、眠るときはいつでも逃げられるような服装で過ごした。これまで恐怖やストレスに対してどのように向き合ってきたのだろう。
「普段は感情を豊かに持ちたいですが、病院前医療や災害や紛争地派遣ではなるべく感情を挟まないようにしています。ドクターヘリでかけつけた現場で、手足が切断されてしまった人や心臓が止まりそうな人たちを何度も目の当たりにしてきました。そこでは、今できる限りのことを一刻も早くやるしかない。危ないとか恐いとか、余計なことを考えているヒマがないんですね。動揺することもありますが、それに影響されて医師として必要な判断力が削られてしまうわけにはいかないのです」