学校はいつまでも「皆勤が是」でいいのか?

学校には昔から「皆勤賞」が存在するように、休まず皆勤を是としてきた。年間皆勤賞だけでなく、学期ごとに細かく皆勤賞が出される場合もある

保護者もそうした常識の中で育ってきたため、子供を極力休ませたくない、皆勤賞を取らせたいと願っている場合が多い。そうなると、子供が多少の体調不良でも、無理に登校させる。中には「朝、熱が38度あったが無理矢理登校」という完全に誤った判断をする。

これは学校側として、非常に困る。朝から子供がふらふらなのである。登校してすぐに教室で吐いてしまうこともある。ノロウイルスやインフルエンザなどの感染症が広がる危険性もある。

しかしコロナ禍において、ここへの対応は一気に様変わった。コロナに感染しているかもしれないのに、「皆勤賞」を理由に無理をして登校されるわけにはいかないからである。そこで、体調が悪い場合全般が「出席停止」扱いとなった。これなら欠席にならないので、わざわざ無理をして登校することはない。ある意味、強制的に「皆勤が是」という考えを改めざるを得ない状況になったわけである。

こうなると、もはや「皆勤賞」自体に意味がなくなる。本来「欠席0」の場合に贈られるものだが、ちょっと風邪を引いて休んだ場合でも、もらえてしまうのである。こうなってくると、「賞」としての価値がない。形骸化したものは、廃止がベストである。今まで無理をし続けてきた「皆勤が是」を改めていくいいチャンスだともいえる。

家庭教育を信頼しよう

ここまで述べたように、元来、学校という組織は自己都合による欠席を好まない。しかし、冒頭にあるように「旅行に出かけるから休みます」と学校に正直に伝えたとする。学校側、特に担任はどう受け取るかである。

学校や担任の本音は「家の人がちゃんと学校来させてよ」だろう。学校側の「子供にサボり癖がつく」とか「社会に出てからそれは通用しない」とかいった言い分は「学校は休まず来るもの」「親は学校に行かせる義務がある」という考えが前提である。

もちろん、学校では誰かが自己都合で休もうとも、授業は進めなければいけないという事情もある。一人が休んだからと全体の授業の進度を足踏みするわけにはいかないので、遅れを心配する気持ちが担任教員には生じる。

だが、逆に言えば、休んだ授業の分は家庭教育で何とかするというのであれば、それを認めればよいと筆者は考える。そうした考えを共有する教員は数多い。自己都合での休みなら、その日の授業内容は家庭側が責任を負うということにすればいい。「休んだ分を学校が補ってほしい」は通用しない、という覚悟が保護者にあれば学校も認めやすい。

松尾英明『不親切教師のススメ』(さくら社)
松尾英明『不親切教師のススメ』(さくら社)

また、教員の側の感覚だと「土日祝に出かければいい」と考えがちだが、例えば飲食業を営んでいる保護者などは、平日しか休めない場合も多い。保護者の側からわざわざ言いにくい「平日に子どもを連れて出かけたい」という申し出がある場合、何かしら事情があることがほとんどである。

拙著『不親切教師のススメ』(さくら社)にも書いたが、学校は本来、家庭教育の方針に首を突っ込むべきではない。そういう境界線を越えた“領海侵犯”みたいなことをするから、家庭の側からも学校教育の方針にやたらと首を突っ込まれるのである。家庭教育への信頼をし、その境界線を越えないことがポイントになる。