「伝わる日本語メール」への早道として、英文のフレームワークを応用することを考えてきた。
英文ビジネスメールのように、どんな人にも正しく伝わる、論理的でシンプルな日本語メールを書けることが、社会人としての最低限の教養になる。そんな日も近いかもしれない。
その背景には、劇的な社会の変化がある。日本人同士なら、あいまいな文章でも「あ・うん」の呼吸で伝わった時代は過去のもの。日本人の思考や価値観も多様化し、旧世代の“職場の常識”が若者にはまったく通じない……というようなことも珍しくない。
事はそれだけにとどまらない。ビジネスのグローバル化がさらに進めば、文化の違う人と日本語でやりとりする機会も増えるかもしれない。そのとき共通のルールやコンセンサスがなければ、行き違いのもとになる。
意図が伝わらない下手な文章を「仕方がない」で笑ってすませることは、もはやできないのだ。
松崎久純さんは語る。
「韓国や台湾の人から、日本語で書いたメールを受け取ることもあります。彼らは日本語の手紙の型から勉強しているので、中身はともかく(笑)、書き出しと結びは完璧です。ちょっと古めかしい日本語ですが、それはそれで許せる。書き方のルールを学ぶことは大切だと改めて思いますね」。
感傷的なお詫び言葉はもはや通用しない!?
また、海外とのやりとりが増えれば、文化や商習慣の違いにも、濃やかな配慮が必要になるだろう。
仕事上でトラブルが起こったとき、日本人同士なら「大変申し訳ありませんでした」という感傷的なお詫びメールで事態を収拾できるかもしれないが、海外の人が相手の場合はそうはいかない。
安易な謝罪は先方をさらに怒らせたり、場合によっては訴訟に発展することも考えられるからだ。
まず、想定されるリスクや今後の対策について言及することはもちろんだが、書き方にも十分注意したほうがいい。
「商品の発送が遅れたことを謝る場合、アメリカ人なら、ストレートな謝罪はしないでしょう。『当方で手配して、来週にはお届けできることを本日確認いたしました』と書いておいて、最後にひと言、『ご理解ありがとうございます』。そんな感じですよ」と松崎さんは笑う。
謝っているのだから許してやろうと思う日本人と、謝罪の言葉を書いたら最後、非を認めたと解釈され、とことん責任を追及されてしまう異国の文化。
文化や価値観の違う人々との交渉で地雷を踏まないためにも、ギャップを上手に埋める「グローバル仕様のビジネス日本語」のお手本がほしいところだ。