NHK紅白歌合戦の出場者が11月16日に発表された。コラムニストの河崎環さんはその顔ぶれを見て「高齢者ばかりにおもねらず、だからといって若いZ世代にも媚びず、正しく日本のボリュームゾーンである団塊ジュニアにピントをあてた結果だ」という――。

「なんか、目玉がない気がする」

ああ、中森明菜を引っ張り出してくることはできなかったのかあ……。

11月16日、第73回「NHK紅白歌合戦」の出場者が発表されたけれど、その顔ぶれを見て年末恒例の“そこはかとない不安”を生じさせた人は決して少なくなかったのじゃないか。

「なんか、目玉がない気がする」

もちろん紅白出場者リストとは、NHKが毎年、その権威と芸能界における絶大なるブランド力をもって国民的な一大歌番組へと出演を要請できる中でも、最高峰のポップアーティストたちであることには間違いがない。

昭和の時代からいま現在に至るまで、どの年齢層のアーティストにとっても「紅白に出る」とはすなわちその人気や存在が「国民的である」という認定であり、売れ方や実力への太鼓判である。だけどそれ以上に、そのアーティストのファンというもともとポジティブな承認を向けてくれる集団の境界を越え、身近な親類縁者や先生・同級生に地元商店街のおじちゃんおばちゃんという、アーティストにとっての足元にこそ存在を承認され尊敬を勝ち得るという、最大の社会的承認を手にすることを意味するのだ。

高齢日本社会の情報基準は依然NHK

おかしな言い方だけれど「腐ってもNHK」。ネットでどれだけ受信料批判が展開されて、騒ぐ寂しい人たちにとっては旨みのある祭りネタであっても、日本全国津々浦々の年金生活をするご老人や、介護をしたり子育てしたり、リアルな生活者である老若のファミリーの耳には届かない。

彼らは毎日通うクリニックや処方せん薬局の待合室でつけっぱなしになっているNHKを見る。それは1台のテレビ画面に対して多くの人々が待ち時間の10分や30分注視して情報を得、「○○さーん」と名前を呼ばれて去っていくという、日頃の視聴率計算のリーチ外に大きく存在する名前も体温もある視聴者たちの姿である。

高齢日本社会の情報基準は依然、NHKなのである。社会を覆うインフラであるNHKのブランド力は揺らがない。だからそれゆえに、年末の紅白が迷走している姿はちょっとした社会不安を生じさせる。「紅白視聴率歴代最低」という言葉は、在宅率が高くて視聴率が比較的正確に出やすいはずの大晦日の夜においてすら、興味関心が分散し、社会がバラバラになってこぼれ落ちちゃっていることを意味している。

NHKのテレビにおけるブランド力は揺るがない。だが、そのブランドがもうこの社会には効かない。日本はもう、同じ時間に、同じ映像を、だけど別々の場所で別々の人たちと共有し、感動しエキサイトするということをしなくなりつつあるのだ、サッカーW杯以外は。