すべてを敵と味方に分ける「二分割思考」

最初に断っておくと、私は「政治家としての安倍晋三氏」の支持者ではありません。私は自分のメールマガジンや、各誌紙で自民党のコロナ対策や安倍さんの言動を厳しく批判してきました。しかし、その一方、私は「一個人としての安倍晋三氏」には好感をもっていました。

何度かお目にかかった際には、いっさい偉ぶることもありませんでしたし、その後、ワイン好きの安倍夫人が私の開いたワイン会にいらした際には、夜更けに夫人を心配して、電話をかけてきたこともありました。こんなに気さくで、愛妻家の政治家がいるのだと、驚いたことを覚えています。

この、私の感情は、アンビバレンツというよりも多様な形です。政治家としての安倍さんは評価できないところもありますが、私人としての安倍さんには敬愛の念を抱く。テレビはこうした感情の多様性を認めません。亡くなった安倍さんの業績を称揚する番組と、亡くなった安倍さんの業績を否定する番組の2つだけ。これがまさしく、〈二分割思考〉です。

道路の両側で互いに向かい合って立っている男女は、赤い線で割った。離婚、別れ、国境、障壁、ブレグジットの概念
写真=iStock.com/Vitezslav Vylicil
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安倍氏の味方なのか。安倍氏の敵なのか。どっちの立場だ? あるいは、安倍氏はいい政治家なのか、悪い政治家なのかの二者択一です。テレビが言うのは、これだけなのです。味方と敵とか、いい悪いの間には、それこそ私のように、複雑で広大なグレーゾーンの感情があるはずなのですが、テレビはそれを認めません。こうした番組に毒されると、視聴者の感情もまた複雑さや多様性を失い、周囲の人を「敵か、味方か」「正義か悪か」でしか見られないようになってしまうのです。

老化によって、前頭葉の萎縮が進んだ高齢者が〈二分割思考〉に陥るとどうなるでしょうか。

近所に必ずいるであろう――わずかなごみの分別の違反を探すために、他人の出したごみ袋を勝手に開けて、出した住民に苦情を言う。あるいは、隣の部屋の住民のちょっとした生活音にキレて怒鳴りこむ――自警団的老人を思い起こしてください。彼らは悪と決めつけた人に、何の事情の考慮もできなくなってしまっているのです。

急増した「高齢者ドライバー」による事故報道

ある特定の出来事を、その出来事の固有性を無視して、強引に一般化してしまう認知の歪みが〈過度の一般化〉です。その具体例として、私はよく高齢者ドライバーをめぐる奇妙なテレビ報道を挙げています。

2019年に東京・池袋で発生した自動車事故以来、テレビでは「高齢者の免許返納」を促す報道ばかりが目につくようになりました。この事故は、確かに痛ましいものです。青信号の交差点に突っ込んできた暴走車によって、31歳の母親と3歳の娘さんが命を奪われたのです。この暴走車を運転していた人物が87歳であったことから、キー局やNHKは突然、高齢者ドライバーによる事故ばかりをピックアップして放送するようになりました。