中小野党への配慮で「高い授業料」を払う羽目になった
しかし、枝野氏は野党第1党の党首だった。衆院選を「政権選択選挙」に持ち込むためには「野党ブロック」とも言える一つの「構え」を作ることが、強く求められていた。
他の中小野党が強く求める消費減税を、枝野氏は無視できなかった。「時限的」とは、自らの持論と外部からの要請のはざまでの、ギリギリの表現だったのではないか。
あの政治状況のなかで、枝野氏が持論を曲げてもそれを受け入れたことを、筆者は責めることはできない。だが、人間というもの、心から思っていないことを言葉に乗せれば、必ず相手に伝わるものだ。それは選挙期間中、枝野氏の武器でもある演説の力に、明らかに影を落としていた。
「1度の衆院選で一気に政権選択選挙に持ち込む」という無理をしなければ、枝野氏もあえて持論を曲げる必要はなかったのかもしれない。だが、常に与野党が政権をかけて争うことが求められる小選挙区制のもと、野党第1党の代表が初めから「政権を目指さない」と表明することが許されるのか、という考えもある。筆者も明確な回答を持てない。
いずれにしても、衆院選の敗北が、枝野氏にとって「高い授業料」となったのは間違いないだろう。高い授業料を払った結果、枝野氏は現在の主張に行き着いたのだ。
もちろん、有権者が支持する政策は人それぞれであり、それに基づいて枝野発言への評価は異なるはずだ。だが「消費減税を言ったのは間違っていた」という一言だけに条件反射し、前後の言葉や文脈のすべてに耳をふさいで論評するのはいかがなものかと思い、前後を含めた発言の解説を試みた。
「消費税」を旗印に戦う選挙はもはや時代遅れ
その上で問いたい。繰り返すが枝野氏の主張の最大のポイントは「『支え合いの社会』をつくるため、まず法人税と所得税、金融所得課税で富裕層への増税を行う」ことである。現在の野党の主張の最大公約数ではないだろうか(維新は違うかもしれないが)。
その最大のポイントを無視し、重箱の隅(あえて言う)の消費税をほじくり出して「減税を言わなければ許さない、たとえ据え置きでもダメ」と言って「味方」の勢力を分断し、旧統一教会との関係やら「政治とカネ」の問題やらでもはや政権のていをなしていない岸田政権と戦う力を野党から削ぐことが、本当にこの国のためになるのだろうか。
現在の野党支持者に問われているのはそこである。
枝野氏自身の解説をしているだけで、相当長くなってしまった。全然言い足りない。
冒頭に述べたように、筆者が言いたいのは枝野発言そのものではなく「消費税を旗印に選挙を戦う平成の政治」からの脱却である。改めて「後編」で言及したい。
一つだけ付け加えるとしたら「枝野新党」論のばかばかしさである。立憲民主党は5年前、枝野氏が1人で多額の借金までして立ち上げた政党であることが、もう忘れられているのだろうか。面白おかしければ何を書いてもいい、というものでもないだろう。
(後編に続く)