29歳のときAIDで生まれたことを知った加藤英明氏
写真=本人提供
29歳のときAIDで生まれたことを知った加藤英明氏

今年4月から日本でも保険適用が認められるようになった不妊治療。中でも「AID」は、夫のものではない精子で妊娠・出産する生殖補助医療で、慶応大学病院を中心に1948年から実施されてきた。不妊に悩むカップルを救ってきた一方、AIDで生まれた子の多くが、自らの出自をめぐって苦しむケースが多数報告されている。10年以上にわたり、日本・オーストラリア・イギリス・アメリカ・デンマーク・スイスで当事者たちや医療関係者などに取材してきたジャーナリスト大野和基氏の新刊『私の半分はどこから来たのか――AIDで生まれた子の苦悩』(朝日新聞出版)から、その実態を一部抜粋・再編して紹介する。

■お父さんとは血がつながってなさそうだ

2002年、医学部の5年生のときだった。病棟実習が始まり、いろいろなセクションを3週間ずつ実習するカリキュラムが組まれていた。その最後の枠が臨床検査部だ。そこは輸血や採血した血液の検査をするセクションで、ほとんどの医学部生はそれほど関心を持たず、単位だけ取ればいいと思われる実習だった。

しかし、加藤英明(当時29、現在48歳)は違った。加藤は骨髄移植や遺伝子検査に興味を持っていたのである。骨髄移植用の血液検査について、時間外で教えてほしいと教授に請うた。しかし、まさかそれが衝撃的な発見につながるとは、想像さえしていなかった。

教授に「血液を詳しく検査するためには、両親の血液が必要だ」と言われ、加藤は採血キットを持って帰り、両親の採血を行った。一般的な赤血球の血液型をまず調べると、父親はAB型だった。加藤はO型だ。一般的にAB型の親からO型の子は生まれないが、シスAB型という特殊な血液型の場合は、O型が生まれてくることがある。実際、加藤の家系にはAB型の親から生まれたO型の子が何人かいた。

骨髄移植では赤血球の血液型だけでなく、白血球の血液型である「HLA型」も調べる必要がある。これは4種類の赤血球と異なり、A座、B座、C座、DR座、DQ座、DP座の6座がある。HLA型が一致しないと拒絶反応を引き起こすリスクが生じるのだ。HLA型は両親から半分ずつ受け継ぐので、少なくとも半分は一致しないとおかしい。すなわち、HLA型6座のうち、親子なら3つの座は同じであるはずなのだ。赤血球の血液型はすぐにわかるが、HLA型の結果は出るまでに数日かかる。