凡 例
本稿で辞書的定義を書き出す際は、文頭に●を置いた場合には章や節のテーマに沿った見出し語の意味を掲げ、◎を置いた場合には、章や節の主題とは直接関係なく、文中に現れた重要語句の意味を掲示する。またそのように、辞書的語釈等を特記する見出し語に関しては、直前または直後にその語句を〈 〉で括り、〈諸賢〉の注意を促す。
●しょけん【諸賢】多数の人に対して敬意を込めて呼ぶ語。代名詞的にも用いる。皆さん。「読者諸賢のご〈健勝〉を祈ります」
◎けんしょう【健勝】健康で元気なこと。また、そのさま。すぐれてすこやかなこと。
という具合である。
本稿では、インターネット上の公共図書館、青空文庫に公開されてある著作権切れの作品から例文を引いている。この引文(=引用文)については、とくに《 》で囲った。読者の〈便宜〉に〈鑑み〉、青空文庫掲出の原文が旧仮名遣(歴史的仮名遣)のものは新仮名遣(現代仮名遣)に改め、漢字の旧字体は新字体に直し、かつ〈適宜〉ルビを付加した。
また語釈、例文等の補足説明には、その先頭に※を置いた。
勘弁してもらうために「寛恕を乞う」
偉い人や目上の人を怒らせてしまったとき、勘弁してもらうために、その人に〈寛恕〉を乞う。
●かんじょ【寛恕】心が広く、思いやりが深いこと。そういう広い度量で許すこと。「ご寛恕を乞う」「今回の失態、何卒、ご寛恕くださいますよう」
もう少し〈大仰〉な表現を使いたいならば、相手に「海のごとく」広く深い度量を期待する。
●かいよう【海容】(海のように広い)寛大な心をもって、人の罪や過誤を許すこと。「何卒、御海容下さい」
◎おおぎょう【大仰】大袈裟。誇大なこと。誇張していること。
さらに己の過ちや不品行について恥じ入ることを〈慚愧〉に堪えない、などという。
●ざんき【慚愧/慙愧】ただひたすら恥じること。恥じ入ること。「慙愧に堪えない」
《私は、その夜後悔と慚愧に悶えた》(小川未明『抜髪』)
《けれども、その慚愧の念さえ次第にうすらぎ、この温泉地へ来て、一週間目ぐらいには、もう私はまったくのんきな湯治客になり切っていた》(太宰治『断崖の錯覚』)
「恬」を使った表現
逆に何ら恥じることなく、平然としている様を〈恬〉という語で表す。
●てん【恬】気にかけずやすらかなこと。平気なこと。「恬として恥じない」
この語は例文にもあるように〈恬として〉という成句で使われる。
●恬として 何とも思わずに。平気で。まったく気にかけないで。頓着しないで。
青空文庫等を調べると「恬として恥じない」という定番的な用法の他に、「恬として顧みない」「恬として迷信に耳を貸さない」「恬として心を振向けなかった」などという表現がみえる。どれも、気にしないで、意に介さないで、しれっとして、の意だ。同義で〈恬然〉という熟語もある。
●てんぜん【恬然】物事に拘らず、平然としているさま。「恬然とした態度」「恬然たる風を装う」
《彼らは単に大道徳を忘れたるのみならず、大不道徳を犯して恬然として社会に横行しつつあるのである》(夏目漱石『野分』)
《辻褄の合わない、論理に欠けた注文をして恬然としている》(夏目漱石『坊っちゃん』)