辞任ドミノで四面楚歌に

高木国対委員長は立憲の安住淳国対委員長の会談要請を拒否するばかりか、閣僚辞任ごとに本会議場での謝罪と説明を求める立憲の要求をすんなり受け入れ、岸田首相をさらし者にした。露骨なサボタージュだ。内閣の要として危機管理を担う立場にある松野官房長官も岸田首相を守るそぶりを見せず、いまや半身である。

離反者は清和会にとどまらない。茂木幹事長も岸田首相から距離を置き始めた。茂木氏は麻生氏を後ろ盾に岸田政権を受け継ぐ後継首相の座を狙っている。ところが宏池会-立憲の連携が進んで大連立構想まで浮上すると、茂木氏が担がれる芽はしぼんでいく。

茂木氏は被害者救済法案をめぐり自公立維4党協議をわきにやり、立憲と犬猿の仲である国民民主党を新たに誘い込んで自公国3党協議の場を新設。さらには共産党にも声をかけ、自公立維国共6党の幹事長・書記局長会談まで開催した。立憲の発言力を薄めて自公が主導権を取り戻す狙いは明白だ。

岸田首相は急接近した立憲から攻め立てられ、清和会や公明党ばかりか自民党執行部まで離反し、挟み撃ちにあっている。衆参で圧倒的多数を握りながら3閣僚が立て続けに辞任に追い込まれたのは、岸田首相が四面楚歌になっているからだ。

演説を行う岸田総理(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)
核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議で演説する岸田文雄首相(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

首脳外交で挽回するはずが…

岸田首相は外交舞台が大好きだ。経済政策は財務省に丸投げし、本人は首脳外交にしか興味がないと言われる。葉梨法相をドタバタで更迭して妻同伴で東南アジアへ飛び立った時は、ここまで岸田包囲網が広がっているとは思いもしなかったのではないか。

今年10月の就任1年を機に長男を首相秘書官に起用しSNS発信を担当させたことは「縁故人事」として批判を浴びた。その長男が仕切るツイッターやインスタグラムには岸田首相が外遊を満喫している様子が次々に紹介されている。

その岸田首相が何よりもこだわるのは来年5月の地元・広島で開催するG7サミットだ。地元での晴れ舞台で支持率を回復させ、その勢いで衆院解散を断行し長期政権につなげる――当初の目論見は今や絵空事になってしまった。

せめて広島サミットまでは首相の座に踏みとどまりたい。そのためには立憲との連携を断念し、自民党や公明党と融和して挙党体制を構築するしかない。非主流派のドンである菅氏を閣内に取り込めれば政権を立て直せる――そこで再び浮上したのが菅氏を副総理に起用する案だった。

岸田首相は自民重鎮から寺田総務相の後任に菅氏を副総理兼任で起用するように助言されて検討したものの、菅氏は入閣を拒否するという情報を得て断念。さらには菅内閣で官房副長官を務めた最側近の坂井学氏の総務相起用も検討したが、これも見送った――という神奈川新聞の記事は真実に近いと私はみている。

岸田政権に残された余命

岸田首相が寺田氏更迭を発表する際、官邸記者団への取材と、衆院本会議の壇上で相次いで「テラダ」を「タケダ」と言い間違えたことが波紋を呼んだ。後任人事として実は武田良太元総務相の起用を検討したのではないかという憶測を招いたのである。