岸田首相が年末年始に内閣改造・党役員人事を断行しても、そこに寄り集まるのは「ワケアリ政治家」ばかりであろう。岸田首相はもはや自民党内から見放されている。
落ち目の首相が無理やり行う内閣改造・党役員人事ほど与党内の離反を加速させ、死期を早めるものはない。いまさら泥船に乗り込んで岸田首相と心中する「他人思いの盟友」など魑魅魍魎が跋扈する永田町には存在しない。岸田政権最大の後見人である麻生氏でさえ、いつ逃げ出すのかわからない世界だ。
内閣改造に着手しても次々に入閣を拒まれてやり切れないかもしれない――岸田首相がそこまで急坂を転がり落ちたのはなぜか。7月の参院選以降の4カ月間を駆け足で振り返ってみよう。
参院選で圧勝、そして暗転が始まった
2022年夏の参院選は岸田政権が圧勝したことよりも、日本政界に10年にわたって君臨した安倍晋三元首相が凶弾に倒れた選挙として日本政治史に刻まれるだろう。
安倍氏が率いた最大派閥・清和会(安倍派)は、萩生田光一政調会長、西村康稔経済産業相、松野博一官房長官、高木毅国会対策委員長、世耕弘成参院幹事長らによる熾烈な後継争いに突入。老舗派閥・宏池会(岸田派)にとって千載一遇の好機が訪れた。
岸田政権は宏池会を源流とする第3派閥・麻生派と第4派閥・岸田派に加え、麻生氏の後押しで派閥会長になった茂木敏充幹事長が率いる第2派閥・茂木派が主流派を形成している。
これに対して非主流派の中核を占めるのは、岸田首相や麻生氏らが首相の座から引きずり下ろした菅義偉氏(無派閥)と、その菅政権で幹事長を務めた二階俊博氏の二階派だ。8月の内閣改造では菅氏を副総理として閣内に引き込む案が浮上し、菅氏も前向きな姿勢をにじませていたものの、岸田首相と麻生氏はこの案を一蹴して菅氏を無役で干し上げた。
この時点で岸田政権にはまだ余裕があったのだ。
岸田政権と立憲の急接近
菅氏はここから「主人」を失った清和会への急接近を始める。菅氏は安倍最側近だった萩生田氏と親密な関係を築いてきた。安倍氏の国葬では友人代表として追悼の辞を述べて称賛された。
葬儀委員長を務めた岸田首相の追悼がまったく関心を呼ばなかったのに対し、菅氏は大きく株を上げ、SNSでは「岸田政権より菅政権のほうが良かった」という声まで上がり始めた。
菅-二階ラインは、岸田-麻生ラインが疎遠な公明党とも強いパイプがある。菅氏が主導して清和会・二階派・公明党による岸田包囲網が築かれるとまずい。そこで岸田首相が選んだ道は、同じく支持率低迷にあえぐ野党第一党・立憲民主党への接近だった。
臨時国会最大の焦点である旧統一教会の被害者救済について、この問題が直撃した清和会と創価学会への波及を恐れる公明党は及び腰だ。岸田首相は立憲と維新を引き込み、自公立維4党の実務者協議の場を設置して清和会と公明党に圧力をかけた。