世界で広がる国際分業体制を拒んだ結果…
しかし、1980年代半ば、日米の半導体摩擦が熾烈化した。東芝は米国企業に市場を開放しつつ、韓国のサムスン電子に技術を供与して間接的に世界シェアを維持しようとした。しかし、サムスン電子は東芝から急速にメモリ半導体の製造技術を吸収して世界トップクラスの半導体メーカーに急成長を遂げた。東芝の半導体分野における競争力は急速に失われ、市況の変化についていくことは難しくなった。
1990年代の初頭には、わが国で資産バブルが崩壊した。株価や地価は急速に下落した。不良債権処理も遅れた。わが国経済は長期の停滞に陥り、個人消費が伸び悩んだ。一方、世界経済はグローバル化し、国際分業が加速した。デジタル家電のユニット組み立て型生産など、設計、開発と生産が分離された。
しかし、東芝は総合電機メーカーとして設計、開発、生産、販売までを自己完結する体制を維持した。一時はノートパソコンのヒットなど東芝の強さが発揮された場面もあったが、長続きはしなかった。挽回を目指して2006年に東芝は米原子力大手のウエスチングハウスを買収したが、シナジー効果の発揮は難しかった。
経営陣をはじめ「内向き志向」が加速
リーマンショック後、東芝の内向き志向はさらに強まった。その象徴が不適切会計問題だ。2008年度から2014年度の4~12月期まで、東芝は不適切な会計処理を行った。根底には、かつての成功体験に基づき、これまでの技術力があるから業績の拡大は可能、という経営陣の強い考え(思い込み)があったと考えられる。東芝は買収したウエスチングハウスの経営破綻にも直面した。
2017年3月期、東芝の最終損益は9657億円の赤字と債務超過に陥った。一方、世界経済全体でデジタル化が加速し、“データの世紀”が本格化した。本来であれば東芝は新しい製造技術を生み出すことによってそうした変化を収益獲得のチャンスにつなげるべきだった。しかし、経営陣はすでに出来上がった事業運営体制を維持することに執着した。