人事の専門家など第三者による議論もまた、潜在的には意欲があることを前提にした「心理的安全性の確保」といったところに導かれがちだ。会社、より具体的にいうと上司や人事部に「やる気」のあるところをアピールする姿は、会社はもとより、たいていの組織のなか、さらにいえば日本社会全体にみられる現象といえる。私はそれを「見せかけの勤勉」と呼んでいる(※1)。
会社のなかでは、必要がなくても周りが残っていたら残業したり、有給休暇をほとんど取得しなかったり、存在感を示すため会議で意味なく発言したり、といった行動がその例である。
※1:太田肇『「見せかけの勤勉」の正体』PHP研究所、二〇一〇年
「やる気」と客観的な成果は必ずしも一致しない
ミーティングで長時間にわたってワイワイガヤガヤと議論する「ワイガヤ」も、背後には同様の気持ちが働いている可能性がある。ちなみに社会心理学者の釘原直樹は多くの研究結果から、ブレーンストーミングのような対面での話し合いより、単に個人を集めた名目的な集団のほうが仕事のパフォーマンスが高くなることを明らかにしている(※2)。
実際、職場では口角泡を飛ばし、侃々諤々の議論をしていても、一歩職場の外に出たら仕事の話や自己啓発の情報などにはほとんど興味を示さない人が多い。
見かけ上の「やる気」や自己陶酔と本物の「やる気」、客観的な成果とは必ずしも一致しないのだ。それを考えたら、メンバーどうしの議論や相互作用を重視する日本式の知識創造も、その効果を過大評価しないほうがよいかもしれない。
※2:釘原直樹『人はなぜ集団になると怠けるのか』中央公論新社、二〇一三年
日本人の仕事への「熱意」は主要国の最低基準
このように社員が「やる気」をアピールするのは、人事評価を強く意識しているからにほかならない。
そもそも日本では企業側が人事に大きな裁量権を握っており、昇給や昇進・昇格はもちろん、人事異動、転勤も原則として人事評価にかかっている。ときには辞令一枚で本人はもちろん、家族の生活まで一変する。
しかも日本では個々人の仕事の分担や責任範囲が明確でないので、アウトプットすなわち仕事の成果や果たした役割で客観的に評価することが難しい。そのため働いた時間のようなインプットで評価せざるを得ない。
けれどもホワイトカラーの仕事は労働時間だけで貢献度を推し量ることができないので、同じインプットでも「やる気」をはじめ抽象的な態度や意欲で評価することになりやすい。だからこそ社員は「やる気」があるところをアピールしようとするのである。