迫害を受け続けても改宗しなかった理由
各地に離散し、しかも迫害を受ける。そのなかで、一つの選択としては、散った地域に同化していくということが考えられます。生き抜いていくということを考えれば、そうした選択の方が好ましいとも言えます。同化するためにユダヤ教を捨て、キリスト教なり、イスラム教に改宗する。ユダヤ人にはそうした選択をする余地は十分にあったはずです。
ところが、現実にはそのようにはなりませんでした。なぜ同化という選択をとらなかったのか。もちろん、離散の長い歴史のなかで、ユダヤ人のなかにそうした選択をした人間たちもいました。しかし、そうしたユダヤ人が多くを占めるようになり、ユダヤ民族が消滅するという方向には向かいませんでした。
それはいったいなぜなのでしょうか。
一つはやはり、割礼のことがあるからでしょう。いったん割礼を施されていれば、それをなかったことにすることはできません。普段の外見からは何も分かりませんが、結婚となれば性生活が伴うわけで、割礼しているかどうか、すぐに相手に分かってしまいます。つまり、ユダヤ人であることは隠せないのです。
異邦人を避け、独自の集団を形成していった
大澤武男氏の『ユダヤ人とローマ帝国』(講談社現代新書)によれば、ユダヤ人の割礼という風習は、ギリシア・ローマ世界において嫌悪されたということです。逆に、ユダヤ人の側からすれば、割礼を受けていないことは不浄であり、神によって選ばれていないことを意味します。
ユダヤ人の別名は「割礼を受けた者」でした。新約聖書の「使徒行伝」11章2~3節では、「そこでペテロがエルサレムに上ったとき、割礼を重んじる者たちが彼をとがめて言った、『あなたは、割礼のない人たちのところに行って、食事を共にしたということだが』」とあります。
割礼を重んじるユダヤ人は、それを受けていない者と共同生活をしないばかりか、食事をともにすることもなかったのです。イエスの弟子であるペテロは、その戒律を破ったことになります。したがって、ユダヤ人は、割礼を受けていない、彼らからすると異邦人との同居を避けるために、自分たちで独自の集団を形成して生活するしかありませんでした。
当時、エジプトの大都市アレクサンドリアには、ディアスポラ状態にあったユダヤ人の巨大な居住地域がありました。