ユダヤ人の「本当の歴史」はだれもわからない
ところが、古代のユダヤ人の歴史をつづった同時代の史料は他にはありません。フラウィウス・ヨセフスによって記された『ユダヤ古代誌』という書物がありますが、その成立は西暦94年から95年とされています。
したがって、トーラーに描かれていることが本当に歴史的な事実なのかどうか、それを確かめるのは不可能です。ユダヤ人の歴史を描くには、トーラーに頼らざるを得ない。そういう部分がどうしても出てきてしまいます。
ですから、日本の世界史の教科書でも、ユダヤ人は「前13世紀頃に指導者モーセのもとパレスチナに脱出した」と書かれています。これは山川出版社の高校の教科書に出てくるものですが、その後に括弧表示で「出エジプト記」の名があげられています。
そもそもモーセが実在したのかどうか、それからしてかなり怪しいのですが、出エジプト記という出典をわざわざ入れているのも、教科書の著者としては、これをそのまま歴史的な事実とはできないという思いがあるからでしょう。モーセのことを教科書に載せるのは、日本史の教科書に神武天皇のことを載せるのと同じことなのです。
囚われの身からの脱出という希望の物語
したがって、ユダヤ人の経てきた歴史が本当にどのようなものであったのかは、はっきりしないところが多く、トーラーに記されていることはあくまで神話です。
ただ、神話が架空の物語だからといって、その価値が否定されるわけではありません。神話を歴史的な事実としてとらえる人もいますし、すべてが事実ではないにしても、そこには何らかの歴史が反映されていると考える人もいます。
ユダヤ人にとっては、エジプトで囚われの身になっていた仲間が、モーセに率いられてそこを脱出し、神から十戒を授けられたという物語は、その後、国を滅ぼされ、「捕囚」や「離散」を経験することになるだけに、自分たちの前途に希望を見出す上で極めて重要なものとなりました。
離散は「ディアスポラ」と呼ばれますが、西暦131年の第2次ユダヤ戦争でローマ帝国に敗れたユダヤ人は、その戦争の後、イスラエルを建国するまで自分たちの国を持つことができず、各地に散って生活を送りました。その間、迫害を受けることも少なくありませんでした。