永守少年は、金持ちの同級生の家に遊びにいった。3時になると、ばあやが出てきて、おやつを出す。

金持ちの子どもの前に、白い三角のお菓子が出てきた。

「これなに?」と、聞くと、「おまえこんなのも知らないのか? これチーズケーキっていうんだ」「ちょっとくれ」と頼むと、端のほうを切ってわけてくれた。うまいなあ、おいしいなあ、と思っていると、今度は家の奥から、ジュージューと音がした。何か赤いものをパーンパーンやっている。「これなんだ?」と聞いたら、「ステーキだ」と言う。

永守少年は、ステーキを食べた。こんなにおいしいものが世の中にあるのかと思った。そのときに、おまえの親父どんな仕事しているのかと聞いた。

「俺の親父は社長や」

社長になったらチーズケーキやステーキが食べられると、永守さんは「社長になりたい」と思ったのだという。実際に先生から「社長って知っているのか?」と聞かれたとき「知らない。知らないけどうまいもの食えるんだ」と答えたという。

永守さんは、父親を早くに亡くし、兄夫婦に育てられた。貧しかったこともあり、中学卒業したらどっかで働けよ、と言われていたという。学校の教師が、ずっと成績が一番だった永守さんの将来を案じ、「奨学金もあることだから、せめて工業高校に行かしてあげたらどうですか?」と兄夫婦を説得しにきてくれたという。

義姉は反対だったが、兄は「それぐらいやったら」と、奨学金で足りない分はアルバイトで稼ぐことなどを条件に渋々納得してくれた。

結果的に奨学金をもらいながら工業高校へ、国のお金をもらって大学に行った。

現在、92歳の兄。年に1、2回両親の墓参りに行き、家に寄り、酒を飲むと必ずこの話を蒸し返されるという。「おまえは私たちを憎んでるやろ」と。そして酔いが進むにつれ「私たちがおまえの教育に不熱心だったから、おまえの今日がある」などと言われる。話が終わらないと、帰れないのだという。

高校に入るとアルバイトをする必要があった永守さんは、塾を経営し始めた。当時のサラリーマンの月収の3倍の収入を得たという。「経営者永守」の誕生は、苦学とともにあったのだ。永守さんは、自分が独立を決意したとき、独立に最後まで反対した母親にこう言われたという。

「どうしてもやるというなら、おまえは人の倍働くか。私は倍働いた」

そこで「倍働く」と答えた永守さんは独立の許可を得た。元日の午前中以外は休みなし。365日働く永守さんは言う。

「今から会社やるけど世界中の会社に勝てるものなにかあるか? 人材、資本、設備……何にもありません。ただ1日は24時間。ウチも日立も東芝もGEもどこも24時間じゃないかと。日本電産が15時間で向こうが35時間ということはない。『そうだこれだ!』と思いました。人の倍働いたら勝てるということ。5時50分に起きて、会社には6時50分に一番に行く。創業以来ずっとです。冬であれば、僕が秘書室の暖房をいれて、暖かくなったころに、秘書室長が来る。それが日本電産なんです」