政府による米価吊り上げが減反政策の始まり
1995年まで、食糧管理制度によって、政府が米を買い入れていた。その時の価格が農民運動の一大争点となった。
JA農協は、「米価は農家の賃金だ」とか、「米価闘争は農民の春闘だ」として、自民党政府に対して大変な政治運動を行った。自民党は地方を基盤とする政党だった。その地方で、最も影響力を持っていたのは、多くの農民票を組織するJA農協だった。選挙で支援を受ける自民党は、米価でJA農協に報いた。こうして1960年代米価は大幅に引き上げられた。
この米価は市場で需給が均衡する水準として決まる価格ではない。政府が人為的に決める価格である。
意図的に価格を高くすると、需要は減って供給は増える。結果として過剰が生じた。政府は膨大な過剰米を3兆円も使って処分した。1970年からは、生産を減少させて政府が買い入れる量を少なくしようとして、農家に補助金を与えるようになった。これが減反政策の始まりである。
減反政策を米の高価格維持のために使い続けた
当時の農林省の担当者も、これがとんでもない政策だと認識していた。食糧管理制度を守るため、過剰回避のやむを得ない臨時緊急措置だと考えたのである。
1995年食糧管理制度は廃止された。米の政府買い入れ制度がなくなったので、減反政策は廃止してもよいはずなのに、そうはならなかった。
食糧管理制度の政府買入れ米価がなくなった代わりに、減反政策を高米価維持のために使うようになったのである。農家に補助金を与えて生産(供給)量を減らせば、米価は本来市場で決まるはずの価格よりも高くできる。今は減反政策が唯一の高米価維持手段である。