大きな課題に関する決断の仕方は、菅さんと岸田さんとではこのように大きく違います。しかし、共通しているのは決断へのプロセスが見えにくいということです。ここがリーダーの決断として悪いところです。実は正解のわからない課題であればあるほど、決断の中身以上にプロセスが大切なのです。

すでにこの連載でも取り上げましたが、異なる意見が存在する際は、自分たちの主張・理由・背景をしっかり語ることのできる良質な論者をそれぞれの陣営から登場させ、彼ら彼女らに徹底的に議論させます。リーダーは両者の主張を聞き、議論が出尽くした後に、「決断」を下すのです。その際に公開議論の形式を取ることで、メリットもデメリットも考慮に入れたうえでの決断であることが国民や社員といった多くの利害関係者にも伝わります。ここで得られる納得感が大事なのです。

徹底的な議論を行うには、大人数の審議会方式ではダメ。それでは毒にも薬にもならない無難な結論に陥るからです。メリットもデメリットも含め、徹底的に議論できる少数精鋭の意見の対立する論者を集めることです。

決断においては「本質を見る力」が問われる

さて、そのようなプロセスを通じてリーダーは決断を下すわけですが、決断においては「本質を見る力」が問われます。表現を変えれば「枝葉末節を削ぎ落としていく」力。たとえば、「感染者の全数把握見直し」の背景には、逼迫する保健所や医療機関の業務軽減という目的がありました。全感染者について細かな記録をとっていくことは膨大な事務負担なので、それを軽減しようという考えです。しかし記録の事務負担軽減というのは本質議論ではなく、手段の議論です。

まずここで議論しなければならないことは、保健所や医療機関がどこまで患者の面倒を見ていくのかということです。ワクチン接種者も増え、感染者の9割以上は軽症か無症状です。にもかかわらず、全感染者に対して保健所や医療機関が手厚く面倒を見るのであれば、医療インフラがパンクするのは誰の目にも明らかです。ですから本当に医療が必要な人々に手厚く医療サービスを提供すべきという本質に立ち返り、軽症者や無症状者は原則自己管理に切り替えるべきです。そうすれば軽症者や無症状者については詳細な記録をとる必要がなくなります。

そもそも通常の病気の場合は、基本的に「自己管理」ですよね。異変が起きたら、病院に連絡して治療なり入院をするのが基本スタイル。保健所などから積極的に病状を聞かれたり、食事が届けられたりすることなどありません。なのに新型コロナだけが、なぜか軽症者や無症状者であっても自治体が積極的に全面サポートする。そのために全感染者について細かく記録をしなければならなかったのです。つまり詳細な記録は、患者をサポートするための手段なのです。