「身をもって責務の完遂」を誓う自衛隊員

【加藤】まさに、その二つのこと、命を捨てるのか逃げるのか、そこをわれわれは議論しなければいけないのです。そこを議論するに当たって、私がいつも取り上げるのは、1957年の寺山修司の短歌なのです。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

我が祖国は、我が身を捨てるほどのものなのかという問いです。終戦から間もない時代にあって寺山は反語的にないといったのでしょう。なぜこの短歌が身に染みたかといえば、自衛隊の宣誓書にあります。私のように防衛研究所の教官も含めすべての自衛隊員は、自衛官と同様、服務の宣誓文に署名するのです。今から40年前です。

そこには、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め」とあります。そのときには、ばかばかしい、こんな国のために身を捨てるものかと思った。

【柳澤協二(国際地政学研究所理事長)】私も防衛庁(当時)に入庁する際にサインしました。

自分を否定する憲法のために身を捨てる矛盾

【加藤】なんだこれはと思いながらサインしました。でも同時に、その宣誓文の中に書いてあるのは、「日本国憲法及び法令を遵守し」ということなのです。その日本国憲法は自衛隊を否定しているのに、その日本国憲法を守るということを、自衛官は宣誓しなければならないのです。

これは自衛隊員が抱える矛盾です。自分の命をかけて、自分を否定する憲法体制を守れと言われているのですから。こんな組織なんてどこにもないですよ。

【柳澤】そこはだから、憲法が自衛隊を否定しているかというと、私ら防衛関係者のいちおう広い前提としては、専守防衛の自衛隊は認められていると。

【加藤】それはそうです。でも、普通に読めば、原理原則からしたら、自衛隊は否定されています。この話をしてくれたのは、防衛研究所にいたときのある自衛官でした。普通、憲法のようなものは、義務教育を終えた人間が理解できる範囲のものであるべきであって、憲法学者がこねくり回してようやく理解できるようなものであってはならない、と。なぜなら憲法は国民同士の契約書であり聖典だからです。

私はこういう組織を、「ろうそく的自己否定の論理」と言っています。ろうそくは自らを燃やして人々を明るくともすのです。こうした矛盾した、自己犠牲の組織、自衛隊があるということ、これをみんなで考えないといけない。本当に強く、強くそう思っているのです。そして、もう一度言います。「身捨つるほどの祖国はありや」。