自衛官に国を守るバックボーンを与える方法

【林吉永(元空将補)】自衛官であったということ、幹部候補生学校長であった経験から、ただ今のお話について割り込ませていただきます。加藤さんのお話を私なりに表現しますと、自衛官が命がけで仕事をする、命がけで自分のミッションを果たす精神的バックボーンを使命感という言い方をしています。そして、使命感をどのように身につけるかということについては、核心を突く指導に悩みがあると思っています。

自衛隊では服務の指針として「自衛官の心がまえ(使命の自覚/個人の充実/責任の遂行/規律の厳守/団結の強化。1961年6月28日制定)」を示しています。「愛国心」や「武士道」は大東亜戦争の後遺症として敬遠されています。

私は、奈良にある幹部候補生学校の校長を拝命していたとき、朝3時半ごろ、候補生を叩き起こして、お水取りで有名な二月堂まで私語を禁じ黙して約7km走って上がり、二月堂のろうそくの明かりのもとで僧侶が行っている勤行を背に夜明けを見せるのです。奈良盆地の上に漂う霧が晴れていくのを見せて、おまえらが守るのはこの故郷だよって言う。やったのは、それだけです。その一つの情景に対する思い入れがあればいいと私は考えるんですよ。

今、加藤さんがおっしゃったように、自衛官は使命感のバックボーンを持ってない。持っていてもそれが本物であるかどうか誰も言い切れません。国を守るバックボーンを誰も与え切れないのです。そういうジレンマがまだまだあるのですけれども、現場の指揮官はなんとか知恵を働かせてやっている。その点から見ても、ウクライナの事態は非常にいい手本になると思います。

自衛隊員だけでは有事に対応し切れない

【伊勢﨑】その「卑しい」の発言主ですが、“無法国家”日本にとって、「戦え」と上官から部下や動員された国民に発せられる“命令”とは、上官責任が問われない「卑しい」ものであることを、元上官であるその方は思い知るべきですね。

僕だって、銃を取って戦う決意をするときはあるでしょう。そういう状況としては、まず自衛隊が力尽きて壊滅していること。そして、僕が家族と住んでいる周辺に敵の歩兵が散見され始めること。そんなときでしょうか。

【林】伊勢﨑さん、総動員はもう決まりですよ。東日本大震災のとき、24時間不眠不休で働くようにするために、7万人の自衛隊員を2つに分けたのですよ。半数で3万5000人。200名以上の死者が出た市町村は20を超えるわけですから、その隊員が、そこを捜索していった。

3万5000人を20で割ったら何人になりますか。200名以上の死者が出ている市町村に均等割りすると、1750名の自衛隊員の災害派遣です。1000名以上の死者を出した5市町村も1750名の災害派遣です。それでは足りないんです。

市内が冠水したためボートで救出活動を行う自衛隊員。(宮城県石巻市)
市内が冠水したためボートで救出活動を行う自衛隊員。(宮城県石巻市)(写真=CC 表示-継承 3.0/Wikimedia Commons

【伊勢﨑】そうですね。

【林】よろしくお願いします、その節は。