例を挙げます。下校時間、空き地で小学生数名に成人の男性が声をかけている。それをあなたはアパートのベランダから目撃した。自分の子どもではないけれども、友達が含まれていたとする。男性は道を尋ねているようにも見えるし、どこか怪しい感じもする。近くには男性のものらしき車が停まっている。連れ去られてからでは手遅れになる。つまり、男が怪しいのかそうでないのか、わからない状況です。
こういう場合、「見ていますよ」という合図を送ってやる。いきなり、「なにしてるの!」と叫んだりすると逆上されることもあるでしょうから、男に対してではなく、子どもの名前を呼んで、監視者の存在を知らせる。これは有効です。もし男にやましいところがあれば、たいていは逃げ出します。その際、男の服装や年齢、身体的特徴、車の型式、ナンバーなどを書き留めておくとさらにいい。なにかのときに警察の捜査に役立つ可能性もあります。
さらに明らかな犯罪行為を目撃した場合。駐車場の車に石をぶつけて傷つけたり、店の看板を蹴飛ばして破損させたり。そういう場合は警察に通報するわけですが、先に述べたように男の特徴や行為を具体的に伝える必要がある。しかし、通報するときは少なからず緊張するもの。見たものを記憶し、表現するというのは案外難しいことです。そんなとき、携帯電話で写真が撮れるのなら、たいへん有力な証拠になります。場合によっては動かぬ証拠になることもあるでしょう。
いずれにしても、大事なのは「よく見る」こと。現代は、他人や社会に対する興味が薄れているように思えます。酒場での殺傷事件で、犯人が悠然と店を出ていった。近くのテーブルにいた客たちは犯人の年格好や服装を全然覚えていない。自分以外のことに関心がないのです。
関心の薄さは余裕のなさと同義ではないでしょうか。周囲を見渡す余裕がない。自分が社会の一員であり、自分だけで生きてるのではない。まずそれを自覚することから始めましょう。