「一億総下流社会」が徐々に現実味を帯びつつある
国税庁の「民間給与実態統計調査」によると、サラリーマンの平均年収は1997年の467万円をピークに、その後は一度もそれを上回ることなく推移している。もっといえば、サラリーマンの平均年収が400万円を超えたのはバブル真っ只中の1989年。
1992年には450万円台となって1997年まで上がり続けたが、その後は450万円に届かず、2020年は433万円と前年よりも減っている。つまり、日本のサラリーマンの給料は1990年代よりも低い水準で、この30年間増えていないのである。
よくバブル崩壊後の「失われた30年」というが、まさに日本人の「賃上げが失われてきた30年」なのだ。
収入が増えなければ、消費も増えない。モノやサービスにお金が回らなければ、各企業の収益も上がらない。企業が儲からないから、社員の給料も上げられない──。そうした「負のスパイラル」が繰り返されれば、日本が「貧しい国」になってしまうのも当然ではないか。
そんな苦しい状況は、統計を見るまでもなく、みなさんが日々実感されているに違いない。
岸田文雄政権は「成長と分配」を掲げるが、どうにも「絵に描いた餅」にしか思えない。2020年の特別定額給付金に続き、2022年には子育て世帯を対象にした5万円の給付金や、住民税非課税世帯を対象に10万円の臨時特別給付金を支給しようとしているが、それだけではまったく不十分であるのは目に見えている。まして住民税非課税世帯はまだしも、かろうじて住民税を払えている世帯はどうなるのか。
コロナ禍でほとんどの人がネガティブな影響を受け、そのなかでも生活が逼迫して極限的な状況に置かれている人は決して少なくない。どこまで支援の手を差し伸べたらいいのか、その線引きも一筋縄ではいかないだろう。
そう考えていくと、ごく普通に見える人たちも、なかなか収入が増えないなか、世界的な物価高と円安によって家計の負担が増し、やがて家計が破綻して生活困窮者に陥ってしまう可能性が高まってしまうのではないだろうか。「一億総下流社会」が、徐々に現実味を帯びつつあることに目を向けてほしい。