仙台育英高校が東北勢として初の優勝を果たした「夏の甲子園」。酷暑の中、ハツラツとしたプレーを見せる選手には頭が下がるが、時代遅れな点が多いとの指摘もある。スポーツライターの酒井政人さんは「近年は野球人口が減り、若者の野球観戦離れも進んでいる。高校野球というスポーツのあり方を見直し、その運営も一から改革することが必要ではないか」という――。
阪神甲子園球場
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球児に熱中症の恐れがあっても酷暑の中でプレーさせる

今夏の第104回全国高等学校野球選手権を制したのは宮城・仙台育英だった。決勝戦後半の世帯視聴率は関東地区で13.0%。仙台地区では37.3%に達したという(ビデオリサーチ調べ)。東北地方を中心に盛り上がったといえるだろう。

しかし、今回の「夏の甲子園」を見て、東北勢の初めての優勝という快挙に拍手を送る一方、いつまで“時代遅れ”なことをやっているんだという感想を持った人もいるのではないだろうか。

甲子園は謎にまみれている。

例えば、丸刈りの球児たちに熱中症のリスクがあっても、酷暑のなかでプレーさせる。時間にゆとりのある高齢者を中心としたコアなファンは冷房のよくきいた快適な部屋でテレビにかじりついている。

負けたら最後のトーナメント戦で、攻撃効率が悪いと言われる送りバントを何度もして、最後の打者はお約束の一塁へのヘッドスライディング。盗撮の心配があるチアリーダーがミニスカ姿で鼓舞して、なぜかブラスバンドの応援もある。

確かに「汗と涙」でしか語れない、「青春の1ページ」である。だが、フラットな目線で見れば令和の時代に突っ込みどころが満載で教育上の問題も散見される。そこで、他競技では常識となりつつある“プレイヤーズファースト”の視点から高校野球の「改革案」を考えてみたい。

約8倍の格差がまずは大問題

夏の甲子園に出場できるのは各地方大会を勝ち抜いた49校だ。今年の出場数は最多が愛知の175で、神奈川170、大阪165、兵庫156、千葉153……と続く。一方、最少は鳥取の22。愛知と鳥取は約8倍もの開きがあり、このような格差がさまざまな問題を引き起こしている。

まずは純粋に甲子園出場の“難易度”が違ってくる。それは中学生でも簡単にわかる問題だ。

だからこそ、地元を離れて“甲子園に出場しやすい学校”に「野球留学」する選手たちが少なくない。今夏、初めて決勝に進出した山口・下関国際は隣県(福岡、広島)の選手が多いとはいえ、登録選手数18人中、県内出身者は1人だった。

ちなみに地区大会の出場チームは山口が54に対して、福岡は136、広島は83。甲子園に出場するには“狙い目”だったといえるだろう。

甲子園には登録選手全員が県外出身者というチームも時折登場する。その場合、地元の心情は複雑だ。応援する側も戸惑うし、何より地元の選手たちは「あのチームさえなければ、自分たちが甲子園に行けたかもしれない」という思いを抱くだろう。

この格差を是正するためには、各都道府県ではなく、各ブロック大会の参加チーム数に応じて、“チケット数”を割り当てる方式にすれば少しは公平感が出てくるはずだ。

仮に甲子園出場枠を「32」とすれば、各ブロック大会での出場枠は、北海道2、東北3、北関東3、南関東6、北信越2、東海4、近畿5、中国2、四国1、北九州2、南九州2といった形になるだろうか。

こうすれば甲子園出場の難易度は現在より平均化し、野球留学する選手も減って地元の選手が甲子園に出場しやすくなるかもしれない。