読んだ本の内容を忘れてしまう人は、どこが間違っているのか。ウェブマーケターの山田竜也さんは「良い読書ができている人は常に本を当事者目線で読んでいる。読み方さえ誤らなければ本はコスパ最強のメディアだ」という――。

※本稿は、山田竜也『神速で稼ぐ独学術』(技術評論社)の一部を再編集したものです。

本を顔に置いて寝そべる人
写真=iStock.com/José Antonio Luque Olmedo
※写真はイメージです

読書を生かせている人とそうでない人の違い

世の中には「読書家」と言われる人が山のようにいます。「博覧強記!」とまではいかなくても、相当な読書量と知識量を誇る人もいます。では、そのような人たちが世渡りが上手か、稼ぎが多いのか、もしくは自分自身の自己実現ができているのかというと、必ずしもそうとは限りません。「たくさん読書しているけど、職場では冴えない……」という人も多いでしょう。もっと不可思議なのは、

「この本に書いてあるのは知っていることばかりだ」
「この本も新しい視点がない」

と読書から得るものが少なくなっているのに、なぜか実生活の実践に結びつけることができない人たちです。

一方で、読書を自分自身の仕事の収入や、人間関係の円滑さ、技術力の向上に、どんどん活用している人もいます。この違いはどこから生まれるのでしょうか。

「評論家的読書」では本の中身を実践できない

それは「当事者意識」の有無ではないかと私は思っています。読書が実践に結びつかない人は「評論家的読書」に陥っているのではないかということです。「この本に書いてあることは○○だなぁ」「この本の著者は○○だなぁ」という感じで、自分ごととは切り離された視点で漫然と読書している状態。これが

「この本に書かれていることで、自分で使えることは何だろう」
「著者と自分では状況が異なるが、いったい何が異なるか、応用が効く部分はどこにあるのか」

と常に当事者意識で本に触れると、得られる内容がまったく変わってきます。

また、私が本を読む際に心がけているものとして、「1冊読むごとに、何か1つは自分の行動を変えるネタを探して実行する」というものがあります。本を読む際にも意識が変わってきますし、本を読んだあとで実施した行動で効果が高かったものや定着したものがあると、もちろん人生に具体的にプラスになりますし、本の内容も忘れず、人に説明しやすくもなります。