※本稿は、國分良成『防衛大学校 知られざる学び舎の実像』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
防大生の日常は“学生舎”と“校友会”にある
防衛大学校には、槇初代学校長の時代から語り継がれるいわゆる3本柱と呼ばれるものがある。教育・訓練、学生舎、校友会だ。この3本柱のうち、学生舎と校友会がまさに防大生の日常生活そのものを表わすともいえる。それくらい、学生たちにとっては重要な柱だ。学生舎は学生たちが寝食をともにする場であり、それだけでなく大隊、中隊、小隊、そして各部屋での生活空間が広がっている。朝・昼・晩と日常的に学生同士が接し、喜怒哀楽をともにし、同期の仲間や先輩・後輩、そして彼らを日常的に指導する若い指導教官たちに出会う場でもある。
また、校友会は一般の学校のクラブやサークルなどの部活動にあたり、ほぼ全員がいわゆる体育会に属することになるが、同時に上級学年になると文化系の部などにも所属する。もちろん体力を鍛え、団体活動を実践することで集団行動の意義を学ぶ場ではあるが、これが重要なのは、同時に校友会は学生たちのもつ別の個性や特技を発揮する場ともなっているからだ。
英国パブリック・スクールの精神がモデルになっている
草創期、防大では池田潔『自由と規律―イギリスの学校生活』(岩波新書)が必読書の一つであった。それは槇初代学校長の推薦によるものであった。本書は、英国におけるエリート教育の本質ともいうべきパブリック・スクールの歴史、制度、生活を紹介した教育書である。
パブリック・スクールの中心を成す「ノブレス・オブリージュ」の精神として、「自由と放縦の区別は誰でも説くところであるが、結局この二者を区別するものは、これを裏付けする規律があるかないかによる」(同、156頁)と語る。「ノブレス・オブリージュ」は繰り返し槇が防大精神として語った格言であり、現在でも、防大学生舎の前に鎮座する槇の胸像にはこの言葉が刻み込まれている(槇『新版 防衛の務め』、43頁)。「自由のなかに規律があるのではなく、規律のなかに自由がある」、これが『自由と規律』の要諦だが、防大生の日常生活そのものだ。
『自由と規律』では校長の役割も論じられている。「実際の運営に当っては関係者の見解をきき、その意志を尊重する雅量をもつからに外ならない。しかも、最後の決断が校長に懸り、彼一人の責任において下されることに変りはない。パブリック・スクールを動かすものは、端的にいって、独裁者による善政である」と(池田、110頁)。
私はもともと中国政治研究者で、自称、民主化論者なので、「独裁者による善政」という言葉には抵抗感があるが、防大校長が絶大な権限を持つことは否定しない。周りから見れば、実は私も「独裁者」だったのかもしれないが、「中途採用」なのでわからないことも非常に多いために皆の意見を集約することに専念したので、気の小さな「独裁者」だったような気がする。