ビジネスパートナーを簡単に欺く
【リスクを恐れない行動 その2】ハーバードのライバルを欺く
この騒動は身長170センチメートルのマーク・ザッカーバーグをキャンパス内で大物にした。そしてその動向が、ザッカーバーグより大柄な195センチメートルの2人の男の注意をひいた。そっくりの双子、タイラー・ウィンクルヴォスとキャメロン・ウィンクルヴォスだ。2人はダブルスカルの選手としてハーバードでは有名で、2008年の北京オリンピックアメリカ代表チーム候補選手に名を連ねていた。
ところが2003年の11月、ウィンクルヴォス兄弟は別のことを思いついた。全米に網を広げるソーシャルネットワーキング・サイト「ハーバード・コネクション」をつくろうというのだ。その最後のプログラミングの仕上げをするところで、双子はマーク・ザッカーバーグに声をかけた。
ザッカーバーグはサイトの作成に必要なコンピュータのプログラミングとグラフィックの作業を引き受けた。双子はザッカーバーグと会って、52回メールでやり取りをした。ザッカーバーグは2人の書いたプログラムを見て、自分なら2人の役に立てるという印象を彼らに与えた。
ところが2004年2月4日、ザッカーバーグは競合するサイトを自分で立ち上げてしまった。Thefacebook.comだ。6日後、ザッカーバーグはハーバード大学理事会に呼ばれた。
今度は、ウィンクルヴォス兄弟のアイデアを盗んだということで、学生の倫理規定に違反するとして、ウィンクルヴォス兄弟から苦情を申し立てられたのだ。ウィンクルヴォスの弁護士もまた、ザッカーバーグにサイトの閉鎖要求を出し、知的財産の侵害を主張した。
7カ月後、双子はザッカーバーグを提訴した。3人は2008年に法廷で和解し、報じられているところによると、双子がその頃には「フェイスブック」と呼ばれるようになっていた会社の株式120万株(6500万ドル相当)を賠償金として手にした。
双子の弁護士は株式の売却を薦めたが、双子は頑としてフェイスブック株の保有を続け、最終的に2人ともビリオネアになった。
シリコンバレーに行かなくちゃいけない
【リスクを恐れない行動 その3】大学2年生を終えて退学
ザッカーバーグはまさにそれをやったのだ。その話を聞かされた両親のことを想像してみるといい。「ママ、パパ、僕ハーバードをやめて自分の会社を興します」
だが、そのような大胆な行動には先例があった。2003年の秋、ザッカーバーグはビル・ゲイツのコンピュータ・サイエンスの講演を聴いており、そのなかでゲイツは、「ハーバードの素晴らしいところは、いつでも戻ってきて卒業ができるというところだ」と語っていた。
ザッカーバーグもゲイツも、大学をやめて二度と戻らなかった。ただし2人とも、のちに大学から名誉学位を授与されている。彼らの肝の据わった動きは報われた。
【リスクを恐れない行動 その4】20歳で単身カリフォルニアへ
大学をやめてマーク・ザッカーバーグは、さらに大きな賭けに出た。ニューヨーク郊外の住み慣れた家族の家を出て、シリコンバレーの中心、カリフォルニアのパロアルトに移り住んだのだ。
これも大胆な行動ではあるが、おそらく論理的には間違っていない。というのも、パロアルトはコンピュータ技術者とベンチャー企業のメッカとの評判があったからだ。
ザッカーバーグがのちに振り返っているように、「シリコンバレーには、そこにいなくちゃならないという雰囲気がある。なぜなら、あそこはすべてのエンジニアが集まっているところだからね」という。
テクノロジー界の大物――ラリー・エリソン、イーロン・マスク、セルゲイ・ブリン、ベゾス、ゲイツ、そしてザッカーバーグ――はすべて、大胆な計画を実行に移すために、拠点を変える必要があった。
天才たちに共通する“ある行動”
シェイクスピアはかつて、「漂流している船も幸運に恵まれれば港に着けるものだ」(『シンベリン』)と言っていたことがある。しかし、船がしっかりと錨を下ろしていて動かなければ、幸運もやって来ようがない。
天才の隠れた習慣? 天才は皆、さらなる目標を追求するために、大都会あるいは大学へ移動しているのだ。
本書に登場した天才たちと、その機に乗じた移転を見てみよう。