100兆円の外貨準備を大切に使う時代になる

このように度重なる円高にも持ちこたえてきた日本の貿易構造そのものが、変わってきたのは5、6年前からである。日本企業の生産拠点が海外に移転する動きが加速するに従って、急速に台頭してきたチャイワン(中国+台湾)企業などに生産を委託するようになった。これにより、日本国内から工場が消え、国内生産が急速に縮小し始めたのだ。

前述のような貿易黒字の方程式が成り立つのは、一定規模で一定量の製品を国内で生産する条件があってこそ。今や日本の家電メーカーなどは国内ではほとんどモノをつくらなくなった。それでも国内にブランドと販売網は維持しているから、これらメーカーの商売の実体は、“輸入商社”の形に近くなっている。

日米貿易不均衡がピークの80年代、クライスラー再生の立役者と言われた会長のアイアコッカは「イエローペリル(黄禍)」と呼んで日本製品を大バッシングした。しかしクライスラー復活の鍵になったのは三菱自動車のOEM(相手先ブランドによる受託生産)供給がうまくいったためで、当時のクライスラーは、日本車の最大の輸入業者だった(アメリカでの自社生産も実は国境の向こうのカナダであった)。

だから、今、日本で起きている状況もかつてアメリカで起こったことと基本的には“同じ構造”なのだ。日本のメーカーが海外で生産した製品やOEM製品が、どんどん日本に入ってきているが、貿易統計上は、輸入にカウントされてしまい、これが貿易黒字を減らす大きな要因になっている。

さらに、これまで日本のものづくりを支えてきた部品生産も、急速に海外に流出している。たとえばかつての部品クラスター(集積地)のメッカ東京都大田区には、今や最盛期の4分の1程度の2000社ほどしか残っていない壊滅的な状況である。逆に、中国の広東省には日本や韓国の部品メーカーが集まった巨大な産業のクラスターが生まれているが、国内にわずかながら残っている日本の部品産業は、その競争力を失いつつある。

今や国内でものづくりをしようにも、必要な部品を国内だけでは調達できず、大部分を輸入しなければならない状況なのだ。つまり国内メーカーが地場の部品ではなく輸入部品を使う、これまた輸入促進に荷担する側に回ってしまっているのだ。

第二次世界大戦後、生産拠点の最適地を求めて、海外に出ていったアメリカの企業はといえば、その後ドル安になってもアメリカに戻ることなくどんどん世界企業化していった。今、海外現地化している日本企業のターゲットは、世界市場であり、円安になっても決して日本に戻ってくることはない。

タイの洪水で日本企業は大きな被害を受けたが、タイを逃げ出す企業は出てきていない。それどころか必死で復旧し、さらに大規模な投資を発表している。サプライチェーンができたタイからそう簡単に抜け出せないのだ。このことから考えても、アメリカと同じパターンで、日本も構造的な貿易赤字国になる可能性は、非常に高いのだ。