鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の妻・北条政子とは、どんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「頼朝亡き後、事実上の最高権力者として幕政をつかさどった。子供や孫が次々と非業の死を遂げる悲惨な目にあいながらも、くじけず幕府を率いた強い女性といえる」という――。
北条政子像〈菊池容斎画〉
北条政子像〈菊池容斎画〉(図版=PD-Japan/Wikimedia Commons

猛女・北条政子の悲劇的な私生活の中身

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のなかで、小池栄子が演じる北条政子の存在感がますます高まっている。建久10年(1199)に夫の源頼朝が急死し、頼朝とのあいだに生まれた嫡男の頼家が家督を継ぐと、出家して尼御台とよばれるようになったが、むしろ彼女の本領は尼になってから発揮される。

頼朝という核が失われた鎌倉幕府で、若い頼家とベテランの御家人たちとのあいだに軋轢が生じたとき、いちばん重いのは政子の言葉だった。これから先も、源氏の血筋が絶えたのちには尼将軍とよばれ、鎌倉幕府が編纂へんさんした歴史書『吾妻鏡』も、それからは政子を「鎌倉殿」として扱っている。

実際、日本史、それも政治史の表舞台に登場する数少ない女性であり、日本史上における猛女とはだれかと問われれば、多くの人が政子の名を挙げるのではないだろうか。そんな強い女性を、小池は強い目力を生かして好演している。

しかし、ひとたび彼女の私生活に目を移すと、表舞台での華々しさと裏腹に、あまりに悲惨である。いや、表舞台の立場が大きくなりすぎたがゆえに、幕府のさまざまな工作や、血で血を洗う御家人たちの闘争の矢面にも立つことになり、次々と悲惨な状況を呼び込むことになった、という言い方もできるかもしれない。