京都のお盆の行事「五山送り火」が完全復活
コロナ感染症第7波の拡大の最中であるが、今夏は古都京都に「祭り」が戻ってきた。
7月に実施された日本三大祭りのひとつ祇園祭は、コロナ禍によって中断していたハイライトの「山鉾巡行」が3年ぶりに実施された。山鉾巡行には、およそ14万人の見物客が集まった。祇園祭の通常開催は、京都(あるいは全国)の祭祀を再開させる「呼び水」となったといえるだろう。
8月16日夜には、お盆の行事「五山送り火」が通常点火される。コロナ禍では人の密集を避けるために、「文字」にせず、「点」での点火だったが、今夏は完全復活するのだ。コロナ再拡大は心配ではあるものの、京都には日ごと活気が戻りつつあり、嬉しい限りだ。
京都の祭りが中断したのは今回のコロナ禍だけではない。かつて戦時下においても、大規模な宗教行事が中止に追い込まれていた。
例えば、祇園祭は1943(昭和18)年から4年間、山鉾の巡行が中止になっている。若者の多くが出征し、祭りの担い手不足が中止の背景にある。また、終戦間際では空襲を避ける目的での祭りの中止もみられた。春の葵祭の行列も1945(昭和20)年には中止になっている。
戦時下では、送り火もまた、夜間の空爆を避ける目的で消灯をさせる「灯火管制」の影響を受けていた。送り火とは、京都市内を取り囲む5つの山に、「大(大文字と左大文字の2つ)」「妙法」「舟形」「鳥居形」の5つの文字を炎で浮かび上がらせるお盆の行事である。
その発祥は定かではないが、中世はお盆の精霊送りの行事として、灯籠を山の上で灯したのが始まりとされている。弘法大師空海が始めたとの説もある。17世紀になって文字や図形が描かれるようになった。送り火は、かつては「い」「一」「蛇」「長刀」「竹の先に鈴」の形を加えた10山で灯された、とされている。きっと壮観だったに違いない。