セダンの終焉
しかしこの2万台という数字は、現在の市況では高級セダンとしては非常に大きなもので、クラウン以外の国産高級セダンはそれよりはるかに少ないレベルにとどまっている。
もうセダンという車型はメインストリームから外れた、マイナーな車型となっているのだ。トヨタでも、一時は代表的セダンだったコロナやマークII(その後マークX)はもはや存在しない。
クラウンは1980年代までは少数が海外に輸出されていたが、基本的に国内専用車であり、最近では中国で現地生産していた程度である。国内の2万台程度の需要のために作り続けるべきか否かというのは、非常に悩ましい問題であったと推察できる。
豊田章男社長のエモーションゆえの決断
実際、今回のモデルチェンジにあたっても、当初はマイナーチェンジで現行型の継続生産という計画だったらしい。しかしマイナーチェンジして多少商品力を上げたところで事態はまったく変わらず、先細っていくだけだろう。
だが、クラウンは豊田章男社長の祖父にあたる豊田喜一郎が開発を先導し、父・豊田章一郎が育て上げた、トヨタを代表するきわめて重要な車種ブランドだ。豊田章男社長としては、このままクラウンがフェードアウトしてしまうのは豊田本家直系の社長として耐えられないことだっただろう。
そこで豊田章男社長が大号令を発したらしい。クラウンを今一度フラッグシップとしてよみがえらせろと。おそらく今回のクラウンの壮大なモデルチェンジの原動力は、合理的な判断ではなく、豊田章男社長のこのようなエモーションだったと思われる。
日本のクラウンから世界のクラウンへ
それではクラウンをどうよみがえらせるのか。国内専用車では大きく販売台数を伸ばすことは難しいし、日本国内だけで高いイメージがあっても、それでは真に現在のトヨタのフラッグシップとはいえない。
1955年とは違い、もうトヨタは真のグローバル企業なのである。真にトヨタのフラッグシップであるならば、それはグローバルにフラッグシップとして認知されるものでなければならない。
それで出た結論が、単に日本でのモデルチェンジというだけでなく、グローバルでのトヨタのフラッグシップブランドにクラウンを昇華させる、というものだ。