動じず微笑みを浮かべていた妃殿下
この時、24歳だった上皇后陛下のご態度について、現場を目撃していた記者は次のように書いていた。
「御馬車が皇居から出て間もなく兇漢が妃殿下をめがけて投石し、御車を襲った。妃殿下は体を傾けて難を避けられたが、それは瞬間のことであった。直ちに立ち直って、今までと少しも変わらぬ微笑を浮かべて歓呼する大衆へ会釈された。沿道の大衆が仰いだ妃殿下の御表情には、何事もなかったかのような明るい静かな微笑があった。必死狂暴の形相をもって襲い来たる兇漢を、いま寸尺(わずかな長さ)の間に見た人の表情とは、到底思われない穏やかさだった。これはまことに驚嘆すべきものであった。
このことは妃殿下の御結婚に対するなみなみならぬ御覚悟のほどを察せしむるに十分であろう」(「神社新報」昭和34年[1959年]4月18日号)
たしかに今、往時の記録映像を拝見しても、上皇后陛下の「明るい静かな微笑」には一点の恐怖の影も認めることができない。その驚くほどの「穏やかさ」に、暴漢が襲いかかった確かな事実を逆に疑いたくなるほどだ。
沖縄で火炎ビンを投げつけられた
沖縄での「ひめゆりの塔事件」は有名だろう。これは、一歩間違えば取り返しのつかない惨事になるところだった。
昭和50年(1975年)7月、上皇・上皇后両陛下が沖縄海洋博開会式に際し、昭和天皇のご名代として沖縄を初めて訪れられた。
その頃は、沖縄では戦争で多くの犠牲者を出した記憶が生々しく、天皇・皇室に対しても複雑な感情を抱く県民が少なくなかった。「天皇制打倒」を唱える本土の左翼過激派の活動家も沖縄に入っていた。
県内各地で反対のデモが繰り広げられる中、上皇陛下は戦没者を追悼しようとされる強いお気持ちから、公式行事としてはお出ましになる必要がない、南部戦跡にわざわざ向かわれた(同17日)。
最初の巡拝先は「ひめゆりの塔」。事件はここで起こった。両陛下がご拝礼を終えられた直後に、地下壕から2人の過激派活動家が現れて、火炎ビンを投げつけた。炎は両陛下のすぐ近くで燃え上がり、危うくご一命に関わるところだった。
警備関係者が直ちに避難していただこうとすると、陛下は「私は大丈夫。(現地でご説明役をされていた「ひめゆり部隊」の生き残りの)源(ゆき子)さんはどうですか。源さんを見てあげてください」と、源氏に危害が及んでいないかどうか、ひたすら気にかけておられた。
しかもその後、何事もなかったかのように予定通り、「魂魄の塔」「健児の塔」などを巡拝されている。そのお姿を間近に拝見して、沖縄復帰のシンボル的存在だった県知事の屋良朝苗氏は、「あれほど敬虔な態度で参拝された方は、ご夫妻以外おられない」と涙を流したという。