企業にトラウマを植え付けた雪印乳業の社長会見

では、なぜ日本企業は、自分のところの社長の良さを潰すような真似をわざわざしているのかというと、ある強烈なトラウマのせいだ。

2000年6月、多数の食中毒被害者を出した雪印乳業本社で開かれた会見で、石川哲郎社長(当時)がマスコミからつめ寄られて「私は寝てないんだよ!」と怒り気味に発言して、逃げるように会場を後にしたことがあった。これをきっかけに雪印への激しいバッシングが始まり商品はスーパーなどから撤去され、石川社長は引責辞任。「雪印ブランド」の信頼は地に堕ちた。

この「歴史的ダメ会見」が社会に与えたインパクトはすさまじく、特に日本の危機管理のその後のあり方を決定づけた。そのひとつが、「社長にアドリブで喋らせないように事前にセリフや回答が決めてそれを読んでもらう」という「守り」を徹底する現在のスタイルだ。

機密
写真=iStock.com/Stefan_Redel
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今回、「ダメ会見」の典型のように語られた、「隣にいる顧問弁護士や側近に聞きながらしゃべる」ということを徹底するようになったのも、すべては「社長にアドリブにしゃべらせて失言させない」という「守り」スタイルゆえのことなのだ。

もちろん、これが実際にうまく機能することもあるが、ほとんどは社長個人の良さを消してしまう方向に働くことが多い。

三菱自動車社長も「お飾りの社長みたい」に

わかりやすい例が、三菱自動車の燃費不正問題を受けた社長謝罪会見だ。この時、相川哲郎社長兼最高執行責任者(当時)が登壇したが、会見中に多くの時間を割いて説明したのは、隣にいた品質統括部門長開発担当の中尾龍吾副社長だった。この会見の中継をみていた人々は相川社長に対して、「お飾りの社長みたい」「現場のことを何も知らんのだな」という辛辣な反応も多かった。まさしく、今回のKDDI高橋社長と真逆の結果となってしまったのである。

だが、実はこの相川社長、高橋社長とそれほど変わらない。同じく工学部出身で、開発部門を長く歩み、「ekワゴン」の開発に携わったバリバリの技術系。しかも、不正が行われた車種が開発されていた期間に開発責任者を務めていた。つまり、燃費不正という問題について自分の言葉で語れるだけの知識も経験もあって、不正が行われた時の現場のことも誰よりもよく理解している立場なのだ。

にもかかわらず、会見では副社長や開発本部長に詳細な説明を譲っている。これは相川社長が控え目な性格だからなどではなく、シンプルに三菱自動車が「謝罪や会社としてのスタンスは社長、現場や技術のことは担当幹部と役割分担をすることで、なるべく社長の失言を減らす」という、雪印事件によって生まれた「危機管理のセオリー」に従っただけの話なのだ。

さて、ここまで「ダメ社長会見」が次々と量産されてしまう、日本の企業の構造的な問題について解説をしてきたが、最後に皆さんの中でひとつの疑問が浮かぶのではないか。

だったらなぜKDDIは、このような失敗パターンに陥ることなく、社長会見を成功に導くことができたのか、ということだ。