化学メディア時代の小林にとって、どうしても欠かせない人物がいる。

奥川隆生 おくがわ・たかお●1952年、大阪府生まれ。75年大分大学経済学部経営学科卒業。同年三菱化成工業(現・三菱化学)入社。2000年三菱化学メディア常務などを経て、11年より三菱ケミカルHD執行役員兼三菱化学執行役員。

営業部門を担当していた奥川隆生(現三菱ケミカルHD執行役員)だ。研究所上がりの小林を支える営業の“強力な助っ人”として、奥川の存在は大きかった。

奥川は、入社の翌々年から13年間、組合専従後、化学メディアに異動してきた異色の経歴を持つ。奥川は、小林の考えを組織に橋渡しする役割だけでなく、実行役でもあり、化学メディアの立て直しに小林とニ人三脚で当たってきた。

小林と奥川は、同社が抱える根本的な問題点の洗い出しを行った。来る日も来る日も、就業時間後、会議室にこもり、また赤提灯の下で酒を飲みながら会社復活への議論は続いた。そして半年後、小林は、いつまでに何をすべきかを10項目にまとめ上げ、「十戒」と命名した。

これはモーセが神から与えられたとされる10の戒律になぞらえたものだ。

「十戒」は業界の常識を超えるほどの内容で、その一つにはこう書かれていた。

「海外の生産工場すべての売却期間は夏まで」

期限はわずか半年。しかも、生産工場は世界各国で、アメリカの西海岸、メキシコ、アイルランドにあった。

小林の無茶な指示に対して、元組合専従だった奥川は、社員の声を代弁するように、「できるわけがない。無茶苦茶だ」と噛み付くと、小林は顔を上気させて、「なにがあってもやるんだ。やんなきゃ潰れんだよ」と怒鳴り返し、取っ組み合いの喧嘩が始まることが何度もあった。

それでも、小林は奥川たちに無理を承知で、指示を出し続けた。

では、何が問題として横たわっていたのか。82年に旧三菱化成と米バーベイタムとの合弁会社(後に三菱が買収し完全子会社へ)が誕生し、化学メディアとの関わりが始まった時期にさかのぼる。

バーベイタムは世界的に影響力のあるブランドで、世界初の3.5型MO(光磁気)ディスクや世界初のCD-RWなどは、すべて同ブランドで発売されていたほどだ。しかし、その組織内部には様々な問題を抱えていた。同社は米国、欧州、アジアに現地法人を持ち、それぞれがまったく別個の営業活動を行っていたのだ。

さらに、三菱化学本社における組織の意思疎通がうまくいっておらず、命令系統や責任の所在がバラバラだった点も問題をさらに大きくさせた。これらの問題に誰も手をつけようとせず、それが巨大な累積赤字を生む要因になっていたのだ。