逆に言えば、そのように自分を吐き出す場を確保できているからこそ、普段、感情を抑えられているのかなと思います。ちなみに、まだホールインワンは決めたことがありません。そのときは大喜びしますよ。

心臓血管外科医 天野篤氏
撮影=藤中一平

40代までは、おだてられて自分が主役になるのが嬉しかった時期もありました。しかし、ある時期から、「こいつのおかげで手術が成功した」「おまえさん、助けてくれてありがとう」と手柄を周りに渡すようになったのです。すると相手のやる気も高まってくるし、自分自身の気分もよくなる。そうやって周りに手柄や成功体験を渡すと、妙に冷静にふるまえる自分がいることをもう1人の自分が見つけるのです。

心臓の手術というのは、1人の患者に対して200人近い人間が関わっています。外科医や看護師は言うまでもありませんが、病院の受付から、警備員さん、給食のコックや清掃員の方まで含めると、それだけの大人数が動いているのです。

つまり、200個の歯車があるということになります。真ん中の一番大きな歯車は執刀医。それは事実です。しかし、終始真ん中に居続けてはいけないのです。手術が終われば、その後の回復過程において重要なのは看護師や薬剤師。彼らの歯車がきちんと噛み合う場面を見届けながら、自分は真ん中から次第に離れ、最後は端っこに移り、動かないようにする。すると、私自身の負担も減っていく。ターニングポイントを若い医師、臨床工学技士や麻酔科医たちに渡していくと、チーム全体の雰囲気もよくなってくるのです。

拒否反応がないのなら受け入れてみてもいい

私はこれまでに約9000例の心臓手術を行ってきました。その過程で気が付いたことは、どんな場面でも平常心を保っている人は、実は「信仰」に心を支えられていたりする。私自身も宗教に誘われることが多く、少し勉強したりもしました。

「普遍的な教え」というものは、突き詰めていくと、ほぼすべて一緒なんです。格式の高いものに触れると、自分自身もいい影響を受けられるという側面は必ずあります。

恋人やパートナー、あるいはメンターといった即物的な存在で足りる人はそれでいい。しかし慣れてしまったり、飽き足らなくなったり、それで収まらなくなった人は、アニメの主人公や人間が商業化の過程で作り出した存在に向かうこともあるわけですが、そうではなく人間の原点というか、宗教などの原風景に触れてみるというのも、実は脳を休めるという観点では有効と考えます。しかし、直観的に「気持ちが悪い」と思うなら、受け入れる必要はありません。けれども、「これならなんだか気持ちよく受け入れられるな」という宗教があるのなら、のめり込まない程度に1度は受け入れてみるのもいいのではないでしょうか。